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奥野泰史(Bern, Switzerland)

奥野泰史(Bern, Switzerland)

University of Bern

2018年06月11日

【テーマ】2018-2019

きっかけはじゃんけんでの敗北

はじめまして。今年度秋より、スイスのベルン大学に留学予定の奥野泰史と申します。光栄にもこの度SUNRISEのWebレポーターを勤めさせていただくこととなりました。どうぞよろしくお願い申し上げます。

1. なぜ留学しようと思ったのか

留学の動機を思い起こしてみると、自分が大学3年生の頃まで遡ることとなる。当時の僕は、よくいる典型的なダメ学生の一人だったと思う。受験戦争で完全にBurn outしていたのか、そもそも大したモチベーションもなく医学部に入ったことで完全に目標を見失っていたのか。入学してすぐに学校から足が遠のき、確か1、2年の終わりには留年がかかった試験を受けていたので、おそらく学年の中でも最下層の存在だったと思う。3年の夏、学生5-6人のグループで特定の社会医学系の講座に配属されて実習するという授業があった。当時全くやる気のなかった僕は、先輩から聞いた一番楽な講座に配属されるため、高倍率のじゃんけんに臨んだ。あえなく敗北した僕は、わけもわからないまま国際交流室という講座に配属された。

そこには、海外の様々な国(主に発展途上国)から医師が留学してきており、医療政策などを中心に学んでいた。自分と一緒に配属された学生は、全く同じ理由で配属された一人の悪友を除いて、元々海外や留学に興味のある人達で、最初の自己紹介から英語が流暢で、圧倒された。入試以来一切英語に触れてこなかった自分は、話すどころか、そこで何が起きているのかもわからないような状況であったが、とにかく、今までにない熱量のようなものを感じたことを覚えている。自分も英語を話せるようになって、この人達と交流したいと思うようになった。この時から自分の大学生活は大きく変わったように思う。

6年生で、英語能力とそこまでの学業成績が認められれば臨床実習を海外で行うことができるという大学のシステムを知り、そこから大学の勉強も気合を入れてやるようになった。4年の夏には語学留学のため、初めて自分の足で海外に出た。その後2年間は勉強や部活の合間を縫って週2回の英会話教室を続けた。6年のとき、そこまでの努力が実り、希望していたJohns Hopkins Universityに留学する機会を得た。その頃にはすっかりやる気を取り戻し、最初は本当に医者になりたいのかもよくわからなかった僕は、いつの間にか海外で活躍する一流のスポーツ選手たちと自分を勝手に重ね合わせて、一流の医者になりたいと強く思うようになっていた。

2. メンター、ロールモデル 

一流の医者になるためには、とにかく経験を重ねて、できるだけ早く、自分一人でも目の前の命を繋げる医者になる必要があると考えた。そのために、激務でかつ主体的に研修ができる病院を選んだ。三井記念病院は、期待どおり忙しく、厳しい研修だった。レジデント達はとても優秀な人ばかりで、まさに自分の目指す姿だと感じた。中でも当時5年目で、オーベンもしていただいた阿佐美先生は、レジデントのリーダー的な存在で、気がつけば自分の研修において目標とする存在になっていった。

阿佐美先生の影響もあって、3年目からは循環器内科での研修を選んだ。循環器内科に入ってからは、それまでの2年間とはまた一段レベルの違う忙しさで、どう考えても1日24時間では処理できない膨大な量の仕事に対して、自分の命を繋ぐだけで精一杯という感じであった。体力的にも精神的にも本当につらいと感じる事が多かったが、研修自体に不満を感じることはなかった。スタッフの先生達、上級のレジデント達は皆厳しい人ばかりであったが、努力を必ず認めてくれて、それに応じて多くの機会と経験、知識を与えていただいた。紙面の都合上挙げきれないのが残念なほどに、多くの人にお世話になり、育てていただいたと感じている。特に田邉部長には、カテのイロハに始まり、日常診療の中で医師として自分の至らない点など、多くのご指導を頂き、また、学会、研究会、論文など、自分のステップアップにとって非常に重要な機会を多く与えていただいた。

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留学前の阿佐美先生と、心カテ後

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昨年の三井記念病院のメンバー

3. なぜ現在の留学先を選んだのか

5年目の研修節目の年、田邉部長から阿佐美先生の後任として、ベルン大学に行ってみないかというお話を頂いた。まだまだ自分の研修に精一杯であった当時、戸惑いもあったが、これまで歴代のチーフレジデントの多くが三井を出た後に海外留学していることを知っていたし(https://www.mitsuihosp-recruit.com/posts/20161004-studyingabroad-yahagi)、なにより自分のロールモデルとなった先生の後任として留学に行けることはやはり嬉しかった。また、自分が循環器内科に入った2014年はちょうど日本にTAVIが導入された時期と重なり、循環器の一番熱い領域として盛り上がっているのを常に感じていたし、自分自身多くの患者さんの受け持ちをして、新しい解析や実際の手技にも携わるようになっていた時期であり、Structural Heart Diseaseの分野で留学できることも大きな魅力に感じた。

4. 留学するにあたって困難であった点、どのように解決したか

留学までの道のりに関しては、非常に恵まれた環境に置かれていると思っている。留学先との交渉は、阿佐美先生、田邉先生におんぶに抱っこの状態であり、殆ど自分では何もしていない。2017年のESCに後期研修のご褒美として連れて行っていただき、そこで留学先の上司となるWindecker先生、Pilgrim先生と面談させていただいて、最終的に留学が決まった。苦労した点としては、強いて言うなら金銭面であると思う。最初は無給の契約となるので、スイスは物価が高いことで有名であるし、残念ながら現時点でもそこまで貯金は貯まっておらず、生活面の不安は依然として拭えない。加えて、留学先からの要件の一つとして最低20,000$/年のgrantの取得が必要であり、これに関しては、SUNRISE YIAでご評価頂けたことで、大きく助けて頂いた。

5. 留学までの国内での書類の流れ

留学までの書類の流れに関しては、やっと始まったところである。とりあえず自分のCVと、日本の医師免許、認定証、grantの英文証明などを要求されており、準備を進めている。住居の手続きに関しても、前任の阿佐美先生からご紹介頂いて始めたところだが、こちらはやはりドイツ語でのやり取りとなるため、目下大いに苦戦している。 留学まで残すところ数ヶ月となった。日常臨床、研究、ドイツ語の勉強と、相変わらず課題の波に全力で追われているが、引き換えに得られる刺激と充実感はやはり何物にも変え難く、いつも自分の境遇に感謝している。