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from Overseas

重城聡(Hawaii, US)

重城聡(Hawaii, US)

SimTiki Simulation Center, John A. Burns School of Medicine. University of Hawaii

2018年09月16日

【テーマ】2018-2019

Japanese-American in Hawaiiの歴史

ハワイの文化を紹介

ハワイの観光スポット・おみやげは、地球の歩き方を参照してもらうとして。

今回、このハワイ移住から数か月で知ることができた、Japanese-American (日系アメリカ人)について書いてみます。この内容は、私の周りのJapanese-Americanの方たちと、Japanese Cultural Center (ハワイ日本文化センター)からの情報からまとめたものです。

1. ハワイの日系アメリカ人のアイデンティティ

2. ハワイと日本の関係の始まり

3. ”Honouliuli” って知っていますか?

 

1. ハワイの日系アメリカ人のアイデンティティ

ハワイに住んでまず感じるのが、本当に多くの人が日本語のLast nameを持っているということです。私の周りでは、3人に1人は日本語の姓の人がいます。もちろん彼らの多くはハワイ生まれのハワイ育ちです。日本語はすこし話せる程度ですが、顔は完全日本人です。これほど多くの人が、日本の姓を持っている海外の地域はあるでしょうか。私は日本人として、このようなハワイの日系アメリカ人 (Japanese-American in Hawaii ) の方たちにとても興味があったので、普段から英語でいろいろ聞いています。その中でアイデンティティについて聞くことがあるのですが、ある方はこう言っていました。

“My nationality is American, but I am Japanese.”

またある人は、”よくアメリカ本土に行くと、本土の人間は『おー! あなたは、ハワイアンね!』なんてことを言うけど、違うのよね。ハワイっていう地域は、いろいろなルーツをもった人々が集まり混ざっている場所だから、ハワイの人すべてをハワイアンってまとめられないのよ。ルーツが大事で、私の場合『私はアメリカ人であり、日本がルーツです』と言うのよ。”

ハワイの日系アメリカ人の方々は、アメリカという国籍と、日本というルーツの2つをとても大切にしているように感じられました。彼らは、日本に住んで、日本の教育を受けたわけではありません。しかし彼らは、自分のルーツと異なった場所にいるからこそ、自分たちのルーツの文化や習慣に思いをはせ、大切にするのかもしれません。その1例として、よく日系アメリカ人の方たちは”ハワイでは、日本の文化が変化せず止まっている。”と言うそうです。ハワイでは日本の季節の節目ごとの行事は昔ながらの形式とほとんど同じように行われ、正月の門松などは既製品を購入するのではなく、竹などの材料から毎年作るそうです。

私のような国籍とルーツが完全一致している日本人には気づくことができない、日本の良さを、日系アメリカ人の方たちは、これからたくさん私に教えてくれる予感がしてなりません。

2. ハワイと日本の関係の始まり

黒船来航が1853年、明治維新が1868年。明治維新後、税制の改正により一部の日本人は生活が苦しくなり出稼ぎに大都市へ移りましたが、一部の日本人はそれを海外に求めました。当時、ハワイは欧米の支配下おかれ、農業で安くて従順な労働力を求めていました。1868年(明治元年)約150人の最初の日本人労働者がハワイへ旅立ちました。この先駆者たちのことを、明治元年の『元年者』と日系のハワイの人々は尊敬を込めて呼んでいます。主にサトウキビ畑での製糖業に従事したようですが、実際の労働条件は劣悪であり、一日生き抜くのに必死だったようです。いずれにせよ、明治元年、紆余曲折のハワイでの日本人の歴史が始まりました。

IMG_1674ハワイの貧しい暮らし

元年者1

元年者2

写真は、明治元年にハワイに渡った『元年者 (Gannen mono) 』の皆様の写真です (Japanese Cultural Centerより)。

3. ”Honouliuli (ホノウリウリ)” って知っていますか?

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最初、私は”Honolulu (ホノルル)”の書き間違えかと思いましたが、まったく違いました。ホノウリウリ日系人収容所のことで、第二次世界大戦中、ハワイの在留外国人の強制抑留目的に作られた最大規模かつ最も長期にわたって使用された施設のことです。ここに強制的に収容された人々は、主にアメリカへの忠誠心を疑われたアメリカ生まれの日系アメリカ人です。収容者たちは、暑さと湿気の高い、社会から切り離されたこの場所が、孤独感と不当な投獄への怒りを強めたことから、地獄谷と呼んでいました。このような収容所に拘留された人々およびその家族は、戦中・戦後・釈放後もその社会的汚名により差別が長い間続いたそうです。その汚名返上のために戦ったのが、第442連隊や第100歩兵大隊の名で知られる、第二次世界大戦中のアメリカ軍の日系人部隊です。彼らの戦争の目的は、敵に打ち勝つことに加え、アメリカでの偏見に打ち勝つことだったそうです。このホノウリウリ収容所は戦後1946年に閉鎖され、人々の記憶から忘れ去られ、収容所跡地は草木によってすぐに覆われてしまいました。しかし、1998年より地元のテレビ局とJapanese Cultural Centerが協力してホノウリウリの再調査がはじまり、2002年に収容所の場所が発見されました。2015年には、『戦争中においても、人権と価値観を守ることの重要性を思い起こさせてくれる場所』として、ホノウリウリはオバマ大統領により国立史跡に認定されています。

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以上、ハワイの日本人の歴史とホノウリウリ収容所の記載は、私が実際にJapanese Cultural Centerへ行き、見て聞いた情報から抜粋したものです。

明治元年に初めて日本人がハワイにわたってから、今年で150年。

皆様、ハワイにお越しの際は、きれいなビーチで遊んでからでいいので、ぜひ、Japanese Cultural Center (ハワイ日本文化センター)へ足を運び、ハワイでの日本人の軌跡をたどってみてはいかがでしょうか。場所は、ワイキキビーチからバスで5分、アラモアナショッピングセンターからバスで5分です。

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