SUNRISE研究会

SUpporting youNg caRdiologISts projEct

from Overseas

田中哲人(Italy)

田中哲人(Italy)

San Raffaele Hospital (Milan, Italy)
Clinical fellow

2016年01月18日

【テーマ】2015-2016

イタリアの視点(?)で考える

イタリアと日本の2カ国のみしか知らない中で、畏れ多いテーマではありますが、欧州に来て8カ月、自分なりに感じたことを書き留めてみたいと思います。

まずは、根底としての背景の違いでしょうか。社会全体、また同時に医療側からの、医療に対する価値観などに大きな違いがあり、それが臨床、研究を含めた医療全体のあり方の違いにつながっているということです。
それぞれの特徴を大雑把に考えると、イタリアにおいては物事に対して、より寛容な印象で、それは医療に対しても然りかもしれません。逆にイタリアの物差しで見れば、日本はやや神経質かつ非効率と思われる部分もあるのでしょうか。もちろん、医療側の‘患者さんのために最大限のことを’という思いは共通だと思います。

何が良いか悪いのかということは、それぞれの社会の根底にある価値観などの上で判断されるものであり、純粋にその結果としての違いのみを比較することは本質では無いのかもしれません。こういった事を前提とした上で、いくつかの内容について考えてみたいと思います。

 

#日常臨床の構造

海外では多くの国で同様かもしれませんが、所属するInterventional Cardiology Unitは基本的にはインターベンションの部分のみを担当し、その他はまた他の部門でという形になります。各々の最も得意な分野に集中できるので、効率的ではあるのだと思います。逆に日本では、Interventionistは循環器医であり内科医であるという事が基本であり、患者さん全体をマネジメントし、その中でインターベンションを一つのツール・過程として行うという捉え方がより一般的でしょうか。イタリア側から見れば、やや非効率的なのかもしれません。ただその日本のスタンスだからこそ生み出せるものは少なくないと思います。一例のインターベンションとして行うインターベンションと、一患者のマネジメントの一環として行うインターベンションでは、手技以外の部分だけでなく手技中の選択やリスクマネジメントなども変わってくる気がします。例えば、‘このCKD患者に対して造影剤は10 mlまでで行おう’というような日本では一般的な考え方も、日本だからこそかもしれません。たとえ非効率と思われる部分があっても、これは日本の良さなのだと思います。

ただこの日本の構造は医療者の献身によって成り立っている部分もあり、今後これがどこまで維持できるのか、と感じることもあります。イタリアの臨床現場を見ていると、日本の現場での(特に直接の診療以外の形式的な部分での)負担の大きさを時に感じます。さらに近年は医療全体の質の向上を目指す中で、多くの方面から現場への介入が行われています。当然重要なことですが、それぞれで最適な答えが導き出されていたとしても、それらが現場に蓄積していく時、結果として失われるものもあるかもしれません。例えば患者さんへの直接の診療に避ける時間の減少、時間が重要な治療においても形式が重視され結果的に生じる遅れ、などには(現場から離れたところからは)なかなか目が向けられません。こういった矛盾が起きていてもそれを合理的に解消することがなかなかできない部分というのは日本の弱点なのかもしれません。

 

#新しい技術に対して

欧州と日本、その違いが一番大きく見えるものの一つとして臨床分野ではデバイスラグが挙げられると思います。インターベンションの世界では、例えば欧州では実臨床で使用されるようになり約4年が経過するBioresorbable scaffoldも日本ではまだ未認可で、また欧州では既に盛んに行われているStructureの分野においても日本では多くのものが使用できません。

先日ある人気ドラマの最終回のみを見る機会があり(全体のストーリーはよく分かっていませんが、、)、その中で、相手役(悪役?)がこのような台詞を言っていました。
 “例えば安全に作動する確率が60%の医療機器があったとします。つまり10人中6人は助かるが4人は助からない、あんたはそんな医療機器は使うべきではないと言い切れますか?それが使えなかったせいで助かるはずだった6人が残念ながら死ぬとしてもその選択は正しいとあなたは言い切れますか、、、今の日本はつまらない道徳や倫理観にとらわれて100%に限りなく近づいたものしか使えない、、、、だからこの国は駄目なんだ“

これはあくまでドラマでの悪役の台詞ですが、新しい技術をどの段階でどう取り入れるかというのは、医療側ならびに社会全体の考え方に依存してくるでしょうか。新しいデバイスが早い欧州と、遅い日本。欧州は、患者に良いと思われる新しい技術をより早く臨床に取り入れる、その早さという大きなメリットと引き換えに、それに伴うリスクも受け入れているはずです。日本は逆に、相対的には、遅れるというデメリットよりも、リスク管理を重視しているということになります。
重要な事は、デバイスラグというのはその遅れという問題点のみフォーカスされがちですが、そのラグによって受けている恩恵も多く存在するということです。日本に入ってくる前の段階で、欧州で多くの臨床データが蓄積され、導入時には不明確だったことや想定外だったような問題点などもかなり明確化されます。同時にその陰で、実臨床の中で淘汰されているデバイス、技術も多く存在し、欧州ではそのリスクも受容していることになります。イタリアでの実臨床の現場を見た時、同程度の受容を日本でできるかと言われると、やはり難しいのかもしれません。欧州と日本の根本としての背景の差を考えると、現在のデバイスラグの程度というのは、それぞれの価値観の上ではある程度妥当なのかもしれません。
今後、日本がそのデバイスラグ全体の解消を目指して行くとすると、そのラグにより逆に受けている恩恵の部分をどう埋めるか、上乗せされるリスクをどう受容するかということは考えていかなければいけないのかと思います。

 

#臨床研究

インターベンションの世界では、欧州からは日々多くの新しい臨床データが発信されています。Colombo先生の下でも、常に新しいデバイス、また技術的な工夫などが、(日本の物差しでいうと)ハードルが低く積極的に行われているので、Noveltyの高い臨床データが、日本と比較するとより多く得られることになります。この差は根底の背景としての差なので、この部分で欧州と戦っていくことは現段階ではかなり困難かと思います。ただ、前述のように日本の臨床構造だからこそ生みだせる視点というのは存在し、それは間違いなく価値があり、たとえNoveltyの点で下がったとしても、それらのデータを発信し続けていくということが重要かと思います。臨床研究では、大きなデータからだけではわからない、小さくても現場で直接感じる事で得られる要素というものを反映させた仕事にも価値があると感じています。
もう一点、イタリアにいて感じる差は、臨床研究を行う上でのハードルでしょうか。イタリアの物差しでいうと情報の使用に対する日本の考え方、対応は過剰とも感じられるかもしれません。近年、レトロスペクティブのデータ収集だけでも、倫理的な部分の検討のみで(現場から離れた部分で)かなりの時間を要し、なかなか臨床研究を進めることができないことも多くあります。当然情報は方法論的に適正に使用されるべきではありますが、患者への直接介入を要しない部分に関しては、もう少し合理的に進めることができてもいいのではと感じることもあります。現場の想い、アイデアが、本質で無いところが律速段階となり潰れうることは、臨床研究を構築する体制上の一つの弱点なのかもしれません。
さらに、今後日本が世界で戦っていくために、Multicenterでの研究が必須であることは誰もが感じている事かと思いますが、その体制も(当然適正ではありつつ)様々な面である程度フットワークが軽い事が必要なのかと思います。多くの既存の垣根を越えて、大きなネットワークが構築され、日本の良い視点からのものを発信していく、ということに関して自身も貢献していければと思います。

自分の中でも十分に解釈しきれていない部分も多く、まとまりの無い文章になってしまいましたが、今後もより多くの価値観、考え方に触れ、このテーマについて考えていければと思います。