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奥野泰史(Bern, Switzerland)

奥野泰史(Bern, Switzerland)

University of Bern

2019年02月09日

【テーマ】第6回:世界に出てから見つめ直す日本の医療、どこへ 向かっていくべきか

理想と現実

4ヶ月が経ちました。スタートしたプロジェクトのうち、一つの解析結果が出たので、Manuscriptの執筆を開始しました。今回のお題は、世界に出てから見つめ直す日本の医療についてです。

1. 国民皆保険制度

医療の違いを語る上で、お金の問題は切り離せません。まず、私がこちらで支払う医療保険料について簡単に述べさせていただきます。スイスでは、居住開始後3ヶ月以内に、医療保険に加入することが義務付けられています。複数の保険会社の中から、条件と料金を比較して気に入ったものに加入をすることになります。私の場合、金銭的に非常に厳しい条件で留学していますし、年齢的にも医療のお世話になる可能性は低いことから、最も価格が安い保険を選択しました。自分と妻、そして生まれたばかりの娘の保険料をあわせて、700フラン(約8万円)が月額の保険料となりました。最低額の保険ですので、医療アクセスには制限があります。緊急受診の場合を除いて、医療機関を受診する場合には必ず保険会社が指定したhome doctorでまず相談することが義務付けられますし、また実際に医療行為を受けた場合も2,500フラン(約30万円)までは自己負担となります。

日本と比較するとどうでしょう。ご存知の通り、日本でも健康保険の加入は義務付けられておりますが、国民皆保険制度のため、保険会社や条件の選択はありません。私の場合、日本で働いていたころの保険料は、ざっくり現在の半額程度となります(実際には事業主がさらにこの同額を払っているため、実質私とその家族のために支払われている保険料はほぼ同額になります)。ただ、日本の保険料は収入に応じて規定されておりますので、この比較は正確ではありません。実際には、日本では割高と言われている国民健康保険の平均額でさえ、今の私のスイスの保険料の半額以下になりますし、千代田区の無収入3人家族と仮定すれば、保険料は20分の1以下になります。

この保険料で、熱が出れば風邪薬をもらうためだけに受診できますし、受診する病院も基本的には自由に選択できますので、いかにお安くリーズナブルな医療が提供されているかということがよくわかります。この日本の国民皆保険制度は、世界的にみても素晴らしいシステムだと教えられてきましたし、実際海外から日本に移住した外国人は、なんて安く、簡単に医療が受けられるのだと感動するに違いありません(3ヶ月の在留資格があれば、この医療保険制度を利用できるようになっていたと思います)。ただ、理想と現実の間には必ずギャップがあることを忘れてはならないわけで、結果的にかなりの額の医療費を税金で補わざるを得ない状況なっていますし、今になってようやく現実を突きつけられつつあるというのが日本の現状ではないかと思います。

かつての日本の医療界では、人件費を抑えるために無給の研修医を使って夜中に患者さんの搬送をしたり(私の世代ですらありました)、早朝から採血を取らせたりということが当然のように行われてきましたし、患者さんの側も、狭い部屋に6人も押し込められて、ろくに説明も受けないで手術を受けたり、それでなにかあったとしても、「先生ありがとうございました。」と頭を下げていました。それが今になって、医療者側はなぜ過剰に働かなくてはいけないのか、労働基準法違反だ、定時で働けないのでは子供を産む女性は働けないではないか、となり、患者さんの側も、そちらの言い値を払っているのだから100点満点の医療を受けられるべきだろう、となってきたわけです。言っていることはどちらも当たり前のことですので、やはり根本的に保険制度が間違っていたのではないかと思わずにはいられません。

現状の国民皆保険制度を維持するのであれば、保険料を大幅に引き上げるほかないと思いますが、殆ど医療を受ける必要のない若者や、すでに多額の保険料を納めつつ、自身の健康管理にも時間とお金をかけているような高所得者がそれに納得するとは到底思えません。逆に医療の質を下げることに対しては、保険料を殆ど払っていない人でさえ納得しないでしょうし、それどころか中には安価なのを良いことに不必要な医療さえも要求する人が実際にいるということは我々が一番良く知るところです。また、社会のグローバル化が進む中、日本人が払ってきた保険料と税金を使って手軽に医療を受けようとする外国人も今後は増える一方だと思います。医療はサービス業ではなく社会福祉ですので、単純な資本主義を導入するわけには行きませんが、それでも支払額に応じたアクセスや医療の制限など、ある程度の階層化は結局のところ避けられないのだと個人的には思います。

保険制度改革は、各個人の生活と思想に大きく関わる非常に繊細な問題です。にも関わらず、現在の保険制度の仕組みや問題点がほとんど周知されていないのが現状で、今の日本の政治やマスメディアの状況では、改革は不可能なミッションのように思えてしまいます。

 

2. 医療の集約化と分業化・世界から見た日本の姿

医療資源の集約化と分業化というのは、最近よく言われることで、医療者の労働環境改善と医療の質の担保のためには、もはや進めることが絶対条件になってきていると思います。また、これ以上日本の医療が世界から遅れを取らないためにも、これは必須のことと思います。現状、主要なジャーナルにアクセプトされるような臨床研究は、企業から巨額の投資を得て行うRCTか、Multicenter study、そして、それらの研究の限界を埋めるためのHigh volume centerでのregistry研究となっており、日本の中規模病院が200-300例を後ろ向きに調べて研究をしたところで、参考にはしてもらえるかもしれませんが、その研究のことを最終的に覚えている人は誰もいないだろうと思います。企業の立場から見ても、中規模病院が、システムも質も様々に医療を行っている国より、大規模病院が、システムと質を完全に担保し、一括して医療を行っている国でお金を使って研究することは当然のことだと思います。結果、医療を大きく変えるようなジャーナルには海外の施設ばかりが並び、日本は相変わらず、地図の端にある小さな島国のままです。海外から見た日本の姿は、思ったよりも小さく、子供の頃から教えられてきたAmazing Japanの姿とは少し乖離があるように感じます。“CTO PCIなど、すごいテクニックも持っているが、基本的には我々と比べると少し遅れている。”そんな感じなのではと思います。

医療の集約化にも、先程挙げた医療へのアクセス制限が必要になると思います。今でさえそうですが、皆が自由に病院を選択できるのであれば、センター化された大病院に患者が集中し、そこで風邪の患者も高血圧の患者も、全て対応することになってしまいます。実際には、医師数年の経験しかない私が午後のカテ室の回りを気にしながら一人5分で捌く外来よりも、地域の熟練の医師が腰を据えて行う外来の方がよっぽど良いに決まっていますが、患者さん側からすればそんなことはわからないので、大病院で診てもらっているという安心感を得たいわけです。これは私がどれだけ時間を使って直接説明しても、渋々地域の診療所に移ってくれる人はいても、実際に理解してくれる患者さんは殆どいません。やはりシステム的に医療アクセスを管理する他、手段はないのだと思います。高額医療機器を揃え、高度な検査をするための大病院に受診しておいて、「医者は患者の顔もろくに見ずに検査ばかりする。」と患者さんが批判するのは実はお門違いだと思いますが、それを患者さんが理解していないことが問題なのではなく、システムの問題だと思います。このあたりのシステム化をサボって、医師個人の説明努力で曖昧なままに解決してしまおうとするところも、良くも悪くも日本の特徴のような気がします。

医療の分業化の話も少ししたいと思います。こちらではインターベンション医は、術後の病棟管理を行いません。退院後の外来は、地域のhome doctorに戻されます。分業がはっきりしているので、医師は自分の専門に集中して修練を積めますし、研究も集中して行えます(因みにインターベンション医は競争率が非常に高く、ベルンのようなhigh volume centerでも毎年1人の枠しかないようです)。日本のように外来も病棟も手術も主治医が担当するということがないので、夜中に急変したときに「主治医の先生を呼んでください!」ということにはなりませんし、分業が進むことで、様々な働き方の選択肢の中から女性も自分の将来設計に合わせた仕事を選ぶことができるわけです。

私自身は、自分で外来も病棟も診られて、重症心不全や難しい循環動態の管理もインターベンションも、なんでもできる万能な循環器内科医を目指したいと以前から思っていますし、そういった希望のある医師が多い日本ではあまり望ましくないシステムかもしれません。患者さん側からしてみても、頼るべき医師の「顔」がはっきりしている方が、安心感もあるし、信頼して任せられるという面もあると思います。医療の集約化や分業化には問題点もあり、日本の医療の良いところを消してしまう部分も多々あるとは思いますが、一方で働き方改革や女性労働問題だけを都合よく切り取って欧米に習うということは不可能なのだと思います。

こちらに来て改めてよくわかったことは、結局今も“世界は欧米のCapitalismを中心に回っている”ということです。働き方改革も、女性労働問題も、決して普遍的な問題などではなく、結局は“Capitalismで形成された欧米の近代文化”から提起された問題に過ぎないのだと思います。その現実から目をそらしてしまうと、問題解決は難しくなると思います。また、我々は今も欧米中心の世界で生きているということを忘れてしまえば、せっかくの優れた医療や人材も日本という隔絶された島の中に埋もれていってしまうような気がします。