やりたいことを、柔軟に

本稿では「帰国後のビジョン」というテーマを頂いています。現時点ではあと2年強は現在のラボにいる予定で、ここでの仕事が形になった後にどうするか、ということになります。希望としては、帰国後も研究機関で基礎研究をしたい、とシンプルに考えています。今のうちから自分独自の研究テーマを温めつつ、研究費が獲得できるような仮説のストーリーをいくつか頭に浮かべながら過ごしています。

<自分なりのこだわりで>

しかしながら、やりたいからできるとも限らないのが研究の難しいところです。大学や研究所のポストは限られていますし、大学や研究所に所属できなければ研究費の申請もままなりません。どれだけ実験が上手でも、知識があってアウトプットが出せる人でも、働き口がなく、研究を辞めざるを得なかった、という話はしばしば耳にします。

そんなわけで自分もどうなるかはわかりません。思い描くプランはあるにしろ、その理想像に固執しすぎるのも良くないとも感じています。甘いでしょうか。目標を一つに定め、何が何でも主任研究者になってやる、という気概がなければ先はないでしょうか。そうかもしれません。ただ、曲がりなりにも研究という環境に身を置いて過ごしていると、「物事がうまくいくかいかないかに関して、自分がコントロールできる範囲は限られている」と思わざるを得ません。それは実験でもそうですし、論文査読結果や研究費申請の判定にしてもそうです。自分の中でベストを尽くすのは当然としても、相手(マウスや査読者)のあることですから、ちょっとした噛み合わせで結果はまったく異なるものになり、運良く高く評価されることもあれば、残念ながら低く評価されてしまうこともあります。研究者のキャリアというのは、そういった”自分ではコントロールしきれないこと”の積み重ねで成り立っているということは実感しています。

尊敬する先生も「研究は貴族の暇つぶし」ということをしばしば仰っていました。大発見をした研究者たちの家柄は不労所得で暮らせる階級が多かったというのはよく知られています。そういった言葉通りの意味以外にも、「お金と時間がある人が、純粋な知的好奇心に動かされて研究はされるべきもの」という意味もあるでしょうし、逆に「お金と時間がなければどうにもならない」という皮肉のようにも聞こえます。はたまた、「研究などという博打的なものは生活をかけてまでやるものではない」という戒めにも取れます。こういった教えから、キャリアパスにしろ、実験にしろ、絶対にこうでなければならない、というような結果に固執するのはやめよう、と考えるようになりました。何をするにしても心の余裕を持って、という点に、自分なりにこだわっていきたいと思います。そんなわけで研究を続けるというキャリアについては、人事を尽くして天命を、という心持ちでおります。

<臨床を向いた研究を>

とはいえ、冒頭に述べたように、基本的には基礎研究を続けたいと思っています。その場合、医師であるということを活かし、臨床を向いた研究をしたいと思っています。第5回レポートにも記載しましたが、基礎研究の結果を、臨床実地に応用するような研究は、やりがいもありますし、色々なアプローチがあります。例えば、創薬。自分の分野で言えば、線維芽細胞にはたらきかけて、線維化を抑制するような薬の開発となります。線維化を抑制できるなんて夢のようなことができれば、心不全だけでなく、肺線維症でも膠原病でも、もしかしたら癌でも、応用できるかも知れません。もちろん今までにもたくさんの薬が開発されて治験が行われていますが、どれも臨床応用には至っていません。その分何かが見つかれば大発見の可能性もありますし、そもそもそんな薬は存在し得ない可能性もありますが、やりがいのある分野です。また、臨床で求められているのは薬だけではありません。循環器領域にはデバイスという別の治療手段がありますし、診断キットの開発や重症度判定にもニーズがあります。様々な専門家と協力し、自分の専門性と結びつけて新しいスタンダードを造ることはとてもエキサイティングな仕事になると思います。

<後進にも多くを与える>

幸運にも教育研究機関での仕事に就けた場合、大学院生を指導するような立場になることは今から意識しています。今までは程度の差はあれ指導教官(もしくはPI)の庇護のもと実験を進めるという立場でしたが、独立した実験計画を主導し、責任を持って学生の指導ができなければ年齢的、キャリア的に役目を果たしているとは言えません。本邦において博士号を取るメリットが揺らいでいる現在、さらには基礎研究の地盤沈下が進んでいる現在、わざわざ大学院に入学し、基礎研究を選択してくれるような彼らに、できうる限りの経験をさせてあげることができたらと思います。教官と学生、という関係は小さなチームと言えると思いますし、教官はチームのリーダーとしての自覚が必要です。幸い、今までに多くのお手本とすべきメンターに巡り合うことができています。メンターの先生方の背中を見ながら、時代に合わせつつ、より良い研究チームが造りたいと考えています。

また、基礎研究は、実験のノウハウが共有されず、それぞれの研究室がそれぞれに試行錯誤をしているため時間の無駄遣いになっているというような印象があります。環境によって最適な実験手法が異なるという技術的背景もあるでしょうし、同じような実験をしたい研究室同士は競合関係になりやすいというのもあると思います。もちろん肝になる技術をオープンにする必要はないと思いますが、世界に伍するための基本的な技術まで門外不出にこだわっていては効率が悪いと思います。RNA-seqデータが個人パソコンで扱えるようになってから研究者でもプログラミングの知識が求められているので、自分も勉強しています。するとプログラミングの分野では、「問題にぶち当たったらみんなで解決しよう」という文化が根付いていることにカルチャーショックを受けました。GitHubやSlackを使って質問すれば見ず知らずの他人がアイデアを教えてくれますし、同じ問題を経験した人が解決法をWeb上に残してくれていることがとても多いです。知っている人に聞けば簡単に解けるような問題はさっさと解決して、本来の目的に取り組もう、という合理的な哲学を感じます。このような文化が生物実験の分野でも一般的になってほしいと思いますし活発化するような活動ができたらと思います。

<まとめ>
なんだか欲張って夢みたいなことばかり語ってしまった気もしますが、とりあえず今現在の、偽らざる気持ちです。時代が下ればまた自分の理想も変わるでしょうし、立場が人格を変えることもあるでしょう。このときの感受性を忘れないように、本稿は備忘録としても時々読み返したいと思います。
レポートも次回で最終となります。最後までお付き合いいただけると幸いです。
a_hara
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原 昭壽(Hawaii, USA)