産みの苦しみ

随分レポートが滞ってしまっていた。
これまでのスケジュールを説明すると、10月に単身でこちらへ来て11月頭に一時帰国。家を引き払って諸手続きを終え、11月16日に家族総出で渡伊。11月いっぱいは家族の調節にあて、12月から職場復帰をと思っていたらすぐにクリスマス+正月休暇。放射線防護の手続きが終わってカテ室に入れるようになってからレポートを作ろうと思っていたのだけど、イタリアらしく遅々として進まない。先日、イタリア語でのweb講習を終えたし、いい加減に手続きが終わらないものか…
看護師のMarino曰く、「書類が30メートル進んだら止まって、50メートル進んだらまた止まる」と言っていたけれど本当にそんな感覚だ。
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写真1. Padova大学病院 はじめは看板の字も読めず来るのが憂鬱だった
 
先にも書いた当センターは目下売り出し中で外国人フェローの前例がない。折り込み済ではあったが産みの苦しみというか、苦労している。前に書いたようにビザ申請は問題なく進み、その後の家族の手続に至るまでさほどの困難を感じずに済んだが、問題はいざ仕事をする段階になった時だった。当たり前だが外国人フェローがいない=カテ室内はすべてイタリア語になる。この時点で勉強不足を猛省した。はじめは誰がある程度英語を話せるのか、英語で話しかけていいのか分からずただの置物になってしまった。日本であれば仕事を通じて存在価値を見出せるのだがそうもいかず、アイデンティティの消失は予想以上に辛かった。
Padova大では、感染症の血液検査を含めた健康診断を受けなければならない。その結果が出るまでに約2ヶ月(実は項目不足だとかで二回も採血をした。この頃になると血なんていくらでも採ってくれという感覚になった)、その後に放射線防護の手続きがあり、さらに1ヶ月…。これだけ手続きが遅いのに決まりごとはちゃんと守るところが不思議だ。日本より「契約」が重んじられている。
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写真2. 病院の採血室。一般の患者さんと同じところで入職の採血を受けた
 
今は半日はカテ室で見学、それ以外は研究室でイタリア語の勉強をしたり臨床研究をしたり、日本からの残務を片付けたりして過ごしている。カテ室のスタッフも私をどの立場で取り扱ったらいいのか迷っていたようだったが、1ヶ月を過ぎたあたりからPCIの時には治療戦略を相談されたりするようになった。特にCTOに関してはよく聞かれ、日本人=CTOというイメージはイタリアへも浸透しているんだと先人たちの偉業を実感している。
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写真3. カテ室前室から。放射線防護の手続きが終わらないと中には入れない。
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写真4. 研究室。ネット環境は充実している。
 
ここに来てはじめの研究内容はmeta analysis。日本ではやったことがない。「ここではstatisticianが全部統計をやってくれるから大丈夫」と言われたがテーマに沿って調べてみるとhitした論文が900以上。半月かかって目を通した。さて、ものになるだろうか。
大野先生のレポートにもあったが、イタリアでは医師でも仕事にありつけないことがある。Padova大のような専門機関でカテ医としてやっていこうと思ったら相当の実績を積まなければいけない。一方日本では基本的に年功序列で業績がなくてもカテをすることができる。このあたりの感覚が根本的に違う。まずカテ医にならないとカテができないので論文>カテ技術になるのは当然であろう。若い医師でもCAG技術よりリサーチに長けているので私の業績は彼らの尺度で言うと5年以上遅れている感覚になる。
厳しい競争社会にいるのだけれど、みんな大変明るく仕事以外の時間も有意義にすごしている。カテがなければ5時前に帰ることもある。ただ働いていないかというとそうではない。思いの外みんな勤勉だなというのがこの3ヶ月で驚いたことだった。特にレジデントはクリスマス、年末年始含め3日程度しか休みがないのだとか。北イタリアは比較的勤勉とは聞いていたけれど、私が持っていたイタリアのイメージよりよっぽど働いている。でも手続きは遅い。。。
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写真5. カテ室横のラウンジスペース。たまにここでコーヒーを飲んだりしながら雑談する。

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植島 大輔(Padova, Italy)