周到な準備、地道な努力、楽観的なマインド

今回は、留学生活に待ち受ける困難について書きます。
このパートは留学前の私にとって、収集した情報の中でも最も意味のあるものでした。少しでも、これから留学を考えている先生方の参考になれば幸いです。
 
<お金のこと>
留学に伴うお金の問題は、これまで様々なレポーターの先生方が述べているように、大変重大だと思っています。医師としての安定した収入を捨てて異国の地で新たな生活を始めることは、経済的観点から見れば甚だ異常であり、お金に対する価値観は海外留学の選択に一番大きく影響するものの一つです。
私の場合は幸いにも、日本・ドイツ双方からの2年間の助成金とSUNRISE研究会のサポートのおかげで、留学先からは無給ですが、家族4人でざっくりトントン〜少し黒字の生活を送ることができています。これには、家賃が他の欧米都市よりも比較的安いことも影響しています(現在855ユーロ/80㎡/月)。また、多くの同僚は(たとえPhD studentであっても)給与が発生する雇用関係にあり、いざとなれば私も同様の交渉が可能です。せっかくなので現地の生活を楽しめるゆとりは欲しいですし、例えば仕事で壁にぶち当たってへこんだ時などに「それでも家族の生活を守ることはできている」という砦があることは、精神的に大きいです。留学費用に関してはいくら準備してもし過ぎることはありません。ただ一方で、助成金等は申請する段階で獲得できる保証が一切ない、というのもまた辛い事実です(第1回レポートを参照)。
 
<家族のこと>
留学をする、継続するにあたって、家族(特に配偶者)がどのような考えを持っているか、というのはお金のことと同様、非常に大きな影響力を持つ要素です。家族が一緒に渡航する場合は、人数が増えるほど現地で体験する困難も増えます。もちろんしっかり準備することも大切ですが、それでも困難はやってくるので、キャパの広さや楽観的でポジティブなマインドも重要だと思います。
私の妻は、留学前は渡独を楽しみにしていましたが、それでもいざ来てみると最初の1〜2ヶ月間は元気のない日々が続きました。職場や幼稚園というコミュニティがある私や子供たちと違って、人間関係が家庭内に限定されてしまう孤独感が大きかったのだと思います。ドイツでは、移民政策の一環で、滞在許可取得者は1時間約1ユーロという破格の値段で公的なドイツ語学校(VHS)に1年間通うことができます(出身国・滞在期間によっては受講が義務付けられています)。そこで妻も渡航3ヶ月目から通学を開始したところ、クラスで様々な国の友人ができ、随分と忙しくなりましたが今ではこちらでの生活を自分なりに楽しんでいるようです。ちなみに、この語学校の生徒の出身国は中東やアフリカが多いという点で、私のラボにいる外国人と随分毛色が異なっています。妻が語ってくれるクラスメイトの話はとても興味深く、私自身の視野も広げてくれています。
留学準備の時点で、一緒に渡航する配偶者のコミュニティ作りのことまで気を回す余裕はなかなかないと思いますが、少なくともドイツの場合はこの語学校は非常に有用だと思います。先述の通り、家族で渡航する場合は困難も増えますが、それを共に乗り越えていくこと、さらには現地での楽しみを共有することは、何にも代え難い価値があると実感しています。
 
<仕事で受ける評価>
私のラボでは、ボスに直接進捗状況をプレゼンして互いに議論し合う個別ミーティングが、2週に1時間程度、部下一人一人に対して設けられています。これは言い換えれば、各々が評価を受ける場にもなっています。自分の印象としては、「一つ一つの事象からいかに問題点を抽出して解決策を見いだせるか」、そして「実際にどれだけ真剣に取り組んでいるか」という2点が主な評価項目であると感じています。一方、知識や技術に関しては多く持っていることに越したことはありませんが、広大なサイエンスの中で皆それぞれ得意とすることが異なるのは当然であり、できないことはできる人に相談しながら進めていけば良い、という雰囲気があります。また言語に関しては、非英語圏であることや外国人の在籍者が多いこともあってか、自分のような拙い英語でも、それ自体が大きな減点対象になっているとは感じません。こちらがスムーズに説明できない時でも口を挟まずに待ってくれることが多く、英語の上手下手に関わらず、意見を尊重してくれる姿勢が垣間見えます。とは言え、もちろんそれに甘んじることはできず、私としては英語力の向上は永遠の課題だと認識しています。
こちらに来て最初の3ヶ月程度は本当にわからないことばかりで、心が折れそうなこともしばしばでした。正直ボスには不安視されていたと思いますが、そんな時でも「誰も最初からうまくはいかない」と声をかけてもらえたのには、とても救われました。コツコツと真面目に取り組み続けることで、今では少しずつ信頼してもらえるようになってきた実感があり、個別ミーティングで「毎回着実にプログレスしているね」と認めてもらえた時にはとてもほっとしました。
また当然ですが、ボスだけではなく同僚との関係性も仕事を潤滑に進める上で非常に重要です。誰も自分のことを知らないゼロ地点から周囲の信頼を得ていくためには、日々のコミュニケーションを大切にすること、遵守すべきルールを把握して真面目にきちんと仕事をすることなど、地道な努力に勝る方法はありません。これは簡単そうに思えますが、決して世界中の全員にとってそうではありません。特に、真面目にきちんと、というのは概ね日本人が得意とすることのように思っています。
そしてさらに積極的にアピールするために、自分の強みを活かす、というのも信頼を得るためには非常に有効です。私のラボは心臓・血管を主な研究対象としていますが、在籍する研究者は、non MDや、MDでも卒後すぐから基礎研究に従事している人が多く、循環器専門のMDは私だけです。基礎的な知識は彼らに敵いませんが、臨床医の視点でこちらからサジェスチョンできることは実際非常に多く存在します。また、半年ほどコツコツ取り組んでいると、このビッグラボの中でも私が一番精通していることがいくつかできてきます。そうするとそれに興味を示す同僚が自然と寄ってきて、協力や助言を求められたりすることもあります。
 


私は、家族が皆健康に過ごせ、生活費の確保ができる限りは、3-4年ほどこちらに滞在する予定でいます。その後は帰国するつもりでいますが、母国を離れ世界を渡り歩く人たちとたくさん触れ合う中で、そういう人生もスリリングで悪くはないな、と思う気持ちもあります。とりあえず今は目の前の仕事に集中し、日々の豊かさを取りこぼさないよう満喫したいと思っています。

同僚との楽しいひととき

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川瀬 治哉(Bad Nauheim, Germany)