社会の視点で捉える「留学」

私からの最後のレビューは、SUNRISE研究会のコンセプトにも深く関連する、「海外留学」そのものを取り上げたいと思います。
皆さんは、一言「海外留学」と聞いて、どんなことを連想されるでしょうか。「特別な知識や技能を習得する」「論文を書く」「海外に人脈ができる」「臨床から離れる」「英語力が身につく」「視野が広がる」「お金がかかる」「楽しい」「辛い」「キャリアづくりの一部」「時間が増える」、などなど、当事者個人の目線で様々なイメージが浮かぶと思います。
ここでは、個人の対極、すなわちその受け手である社会の視点に立って、この「海外留学」について考察してみたいと思います。日本国内にいても意識を持てば世界中のあらゆる情報に手が届く今、私たちがわざわざ海外に渡ることは、社会にどのように捉えられ、どんな意味をもたらしているのでしょうか。
 


<海外に渡航・滞在する研究者・循環器専門医の実態>
まず、文部科学省が発行する科学技術白書を参考に、日本から海外へ渡航する研究者数を把握します(文献1)。ここでの「研究者」という表現は、基礎研究・臨床研究を行う医師を含め、あらゆる分野の研究者を指します。医師のみの正確なデータは得られませんが、医学系研究者は全研究者のうち約2割を占める最大のグループであるため(文献2, 3)、私たちの海外渡航の状況といくらかの相関はあるだろうと仮定した上で引用します。この資料によると、日本から海外へ渡航し中・長期間(30日を超える期間)滞在する研究者数は、2000年度以降減少した後、最近は概ね横ばいで推移しています(図1)。

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図1. 日本から海外へ渡航し中・長期間滞在する研究者数の推移 (文献1をもとに筆者が作成)


次に、世界の研究者の流動に目を向けてみると、米国が国際的な研究ネットワークの中核に位置し、また欧州内の往来も活発であることがわかります(図2, 文献1)。一方、我が国における研究者の国際流動性は非常に低いことが見て取れます。
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図2. 世界の研究者の主な流動 (2,000人以上の往来のみ表示)


なお、日本循環器学会ホームページによると、2018年4月現在、14,529名の専門医のうち203名が海外在住中と申告しています。これは長野県の専門医数とほぼ同数になります。滞在国の分布を見ると、米国が単独で圧倒的な約6割を占めており、欧州諸国で約3割を占めています(図3)。
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図3. 海外に在住する循環器専門医の滞在国分布 (日循ホームページ内の自己申告に基づくデータから筆者が作成)


 
<国際流動する研究人材に対する諸外国と日本の取り扱い>
さて、この国際流動する研究人材を、各国はどのように扱っているでしょうか。
カナダやオーストラリアでは、海外から来た優秀な人材を引き留めておきたいという思惑の表れとして、国内で研鑽を積んだ外国人研究者を対象に、永住権獲得のファーストトラックを用意しています(文献4)。米国では現に、外国人研究者が大きな役割を担っています。例えば、保健分野のアカデミアにおいては、ポストドクター相当の人材(ここにはPhDだけでなくMDなど専門職学位も含まれます)のうち約半数が外国人です(文献5)。米国内で学位を取得する外国人も多く、彼らには就労許可(OPT)延長がなされたり、グリーンカード取得の面で優遇しようという動きが見られたりしていましたが(文献4)、トランプ政権に代わった今は全般的にビザ発行プロセスが厳格化されています。
一方、海外に出国した研究者を自国に呼び戻すための政策も多く存在します。中国では、海外留学して成果をあげた中国人研究者を破格の好待遇で招致する「千人計画」等が実施されています。合わせてPIレベルの外国人研究者も積極的に招致されており、この施策によって10年間で7,000人以上の研究者が集められたと言われています。また、米国等への研究者流出が問題となっているEUでは、研究者の国際経験を広げるためのフェローシップに加え、EU外に出た研究者のEU帰還を支援するグラントを提供する数千億円規模の施策、Marie Curie Actionsが稼働しています(文献4)。
日本でも、研究者の待遇悪化に伴う頭脳流出が問題視されています。最近では、新たに「国際競争力強化研究員事業」が始まる見込みと発表されています。これは、海外特別研究員などの従来の支援策とは別に、海外で研究を行う若手研究者90人に年500万円超を5年間支給し、海外滞在から帰国後まで連続して支援するプログラムです。
医師が海外で臨床実務を行う場合は、各国の医療制度など社会的因子がその大きな障壁となりますが、一方で広く研究者として世界を俯瞰すると、そこにはグローバルな労働市場があり、一部では優秀な人材に対する獲得競争が繰り広げられていることが見て取れます。
 
<国際移動によって育まれる国際協力関係の重要性>
上記の様々な政策は、「研究人材の国際移動が生産性を高める」という前提に基づいています。この前提は真実なのか、具体的にはどういうことなのか、考えてみたいと思います。
例えば私たちの医学領域において、海外経験者が帰国することに伴い、新しい医療技術やシステムが導入され地域ひいては日本全国の医療レベルが向上する、あるいは一流の研究ノウハウが還元されて国内の研究が活性化する、など有益な効果が生じることは想像に難くありません。前者は定量評価が難しいですが、後者のような効果はこれまでいくつかの報告で分析がなされています。その一部をご紹介します。
日本を含む16ヶ国の19,000人を超える研究者を対象にした調査では、外国人研究者は滞在国のネイティブよりも質の高い研究を行う確率が高いと報告されています(文献6)。ここでは、多様な背景を持つ研究者が国境を超えて混ざり合わさることで斬新なアイディアが生まれやすくなる、と考察されています。また、海外からの帰国者は国際移動を経験していない者よりも、国際共同研究を行う確率が高いことが明らかにされています。さらに、この場合の共同者は留学先のメンターや同僚であるケースが多いことや、学部生や博士課程の時期よりもそれ以後に国際移動を経験する方が国際協力関係に発展しやすいことも、指摘されています(文献4)。一方で、在外研究を経験した日本人にとって、帰国後維持される国際的なタイは1割程度で、その半数以上は帰国後3年以内に消滅している、という報告もあります(文献7)。
チャンピオンケースとして先の中国の呼び戻し政策をもう一度ここで取り上げます。中国経済の急成長と時を同じくして推進されたこの政策によって、海外からの帰国者は急増し、帰国者が国際的なネットワークを活かして国際共同研究を活発化させていると言われています。実際に、中国はこの10年間で、米国との共著関係を強固なものにし、科学論文数を飛躍的に伸ばしています(図4, 文献1)。
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図4. 直近3年間の論文数と国際共著関係の変化  (円の大きさは当該国・地域の論文数を、円を結ぶ線の太さは国際共著論文数の多さを表している)


なお繰り返しになりますが、上記の引用は研究者という括りでの内容であり、私たち医師の領域にそのまま当てはめることはできません。しかしながら、何らかの医学研究が主体となる留学をマクロな視点から考察する場合には、参考となる点は多いと思います。
 
<引用文献>
1. 文部科学省  平成30年版科学技術白書. 2018年.
2. 文部科学省  科学技術・学術政策研究所. 平成科学研究費助成事業データベース(KAKEN)からみる研究活動の状況. 2017年.
3. 文部科学省  科学技術・学術政策研究所. 博士人材追跡調査. 2018年.
4. Scellato G, et al. Research Policy. 2015;44:108-120.
5. 文部科学省 科学技術・学術政策研究所. 科学技術指標2016. 2016年.
6. Franzoni C, et al. Econ Lett. 2014;122:89-93.
7. Murakami Y, et al. J Technol Transf. 2014;39:616-634.


 
<あとがき>
海外留学する日本の研究者・医師がピーク時より減少している一因に、新しい治療法や研究技術がより速くグローバルに普及するようになるにつれ、以前に比べ海外でしか体得できない知識や技術が少なくなっている、という見方があります。確かにこれは一理あると思います。帰国前提の留学をする者にとって、自分がどうしたいかを追求することが最も本質的だと思いますが、帰国後の自身の市場価値を高めるために、依然国内で不足しているものは何かを見極める姿勢も今後は一層大事になってくると思います。
また、昨今の各国の取り組み等からは、留学に伴って形成される国際ネットワークの活用が、以前に増して重要視されているように思います。共同研究へ発展させるのはハードルが高いとしても、意見交換できる国際関係を維持することは、研究アイディアの着想や新たな取り組みへの動機付けに繋がる可能性があります。留学者はこの点も念頭に置いて、留学先との信頼関係構築に努めるべきだと思っています。一方、留学を経ずとも当該分野で何らかの卓越性を有していれば国際参画は可能である点や、たとえ留学によって国際協力関係の芽が生えても、それを活かせる土壌が国内になければ育たない点、などは考慮すべきです。ただ多くの人を海外に渡航させて呼び戻せば良い、という単純なものではなく、国内の環境整備などの内向きの方策も非常に重要だと思います。

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川瀬 治哉(Bad Nauheim, Germany)