小医は病を治し、中医は人を治し、大医は国を治す  孫思邈

今回のテーマは、「日本という科学立国の研究力失速、世界における日本科学の存在感低下が叫ばれて久しいが、その解決方法は何か?」だと勝手に解釈しています。この深淵なテーマを扱うには、私の人生経験、医師人生はあまりに浅く短く、自身の力量の及ばないところです。現在の医療における問題点は、行政的な介入なしでは改善が望めないものも多くあります。またソフト面やハード面を含め、諸先輩方が様々な観点から述べています。それらを見直しても、今なお的を射たものばかりであり、私が改めてここで論じることは重複になりますし、諸先輩方より的確に問題提起することはできそうにありません。
私は、ロジックやファクトよりも、エモーションのウェートが大きい側の人間です。「病は気から」のタイプの人間です(笑)。ですから、誠に勝手ですが、精神論から日本が抱える問題点を述べたいと思います。
精神論者の私からすれば、日本の問題点すなわち欠けているものは、Visionだと思います。
目標、大志、野心、自己実現、欲望、夢、フロンティアスピリット、起業家精神・・・言い方は様々ですが、私はすべて概念的には同じだと感じています。個人的にVisionという言葉が気に入っています。
2012年にノーベル賞を受賞した山中伸弥 先生(以下、山中先生)は、研究に必要な姿勢として、VW (VisionとWork hard)を謳っていました。意味するところは、日本人はWork hardはこなすが、そこにVisionがない、とのこと。Work hardそのものが目的になっていないか、と。日本人は残業までしてWork hardを行うが、時にその仕事の先にある目的、Visionを忘れていないか、と。日々の仕事そのものを目的としていないか、と。
そういえば、「日本人はHard worker」とよく聞きますが、フランスでも同じように言われました。私が、土曜日に研究をしようとしたら、フランス人に「私たちは、日本人のように休日は働かないよー(笑)」と言われました。「日本人はHard worker」は、誉め言葉と思っていましたが、山中先生のVWの話を知っているので、「(日本人は)Work hardだが、Visionがない」と揶揄されているような気がしてなりません(悲)。
「留学の目標は?」との質問に対する私の答えは、「英語でディスカッションができる」、「論文を書く」になります。ところが「留学のVisionは?」という質問に置き換えられると、私は口ごもってしまいす。同じ回答では、質問に対する答えになっていない気がします。「Visionは何か?」と聞かれたのに、「英語でディスカッションできるようになること」という答えはおかしい気がします。「Visionは何か?」という質問を前にして初めて、「英語でディスカッションができる」ことは手段でしかないこと、また「論文を書くこと」に意味付け、大義名分が必要なことに気づかされます。
誰でも少なからずVisionは持っていると思いますし、内容も人それぞれだと思います。「目の前の患者さんを診療すること」がVisionでも間違っていないと思います。しかし、その中でClinical Questionを提起し、解決し、社会に貢献し、世界に発信し、日本の医学的地位を確立する、といったVisionもあると思います。要約すると、トップジャーナルにpublishすることでしょうか。飛躍しすぎでしょうか?「一位を目指さなければ二位にもなれない」、「他力本願では金メダルは取れない」というのはスポーツ界の常識だと聞いたことがあります。医療現場で、このような発言をするのは憚られるのかもしれませんが、大きなVisionを持つことが必要だと思います。
私のVisionと山中先生のおっしゃるVisionは、当然スケールが違います。私はVisionを持っているつもりですが、「Visionがない」とお叱りを受けそうです。山中先生のVisionはよりスケールが大きいと思います。何か大きなことを成し遂げるには、Visionを大きくする必要があります。私のVisionは、研修医の頃より、今の方が大きいです。Visionは年齢と経験値とともに、必然的に広がるものなのだと思います。そして、留学前より今の方が私のVisionは明らかに大きいです。留学すること自体がVisionを広げる唯一の手段だとは思いません。しかし私の場合は、留学し、環境を激変させることで、強制的にVisionが広がったと思います。不言実行を是としていた自分を変える必要性、遠慮や謙遜といった日本人であれば誰もが持っている美徳を捨て去る必要性を痛感しました。「(日本に)引きこもっていないで、外に出ろ」、語弊があるかもしれませんが、留学前の自分にアドバイスできるとしたら、こうアドバイスします(笑)。
私の今のVisionは、留学中に(臨床)研究し、手法を学び、視野を広げ、医療分野に貢献し、トップジャーナルにpublishし、強いては、日本の国際的地位確立に寄与することです。
私に限って言えば、卒業し今に至るまで、大きなVisionに触れる機会が少なかった気がします。最もこれは私の責任で自業自得ですが、某週刊誌に代弁いただくと、「日本の臨床現場では手技習得、給料、専門医資格がインセンティブであり、国際競争力維持に必要不可欠な論文執筆、特許取得がインセンティブとして機能しておらず」、私もそのプロパガンダの被害者なのです。私の個人的な経験を一般化するつもりは毛頭ありませんが、今思えばVisionを熱く語る人、熱い大きなVisionに触れる機会が少なかった気がします。
ひと昔前は、野球少年に夢を聞くと決まって「プロ野球」と答えたそうです。しかし、昨今の野球少年に同じ質問をすれば、口をそろえて「メジャー」と答えるそうです。
この野球少年の夢の変遷、すなわちVisionの変遷に、今回のテーマを論じる鍵がある気がしてなりません。野球少年が、プロ野球を単なる通過点と捉え、メジャーを目指すようになったのはなぜか。短絡的かもしれませんが、メジャーで活躍する先人の姿を目の当たりにしていることが大きいと思います。
私も卒後10年以上を経過して、世間で言う中堅どころ(?)に来て、少なからず後輩に見られる立場になったことを自覚するようになりました。「メジャー」に相当するような一つのVisionを後人に見せることができているだろうか、見せることのできる先人になりたい、と思います。
多くの医師がそれぞれの壮大なVisionを持ち、それに向かい邁進することで、やがてはトップジャーナルでのpublishや、made in JAPANの世界初・日本発の情報発信となり、しいてはそれらが国力向上につながるのだと思います。その時初めて、みんなが大医になれるのだと思います。

t_nakashima
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中島 孝(Bordaeux, France)