留学がもたらす、新たなモチベーション

アメリカに来てみて初めて実感したこと、新しく学んだことは、本当にたくさんあります。それは必ずしも医学知識に限らず、この国が得意とする合理的でシステマティックな方法論であったり、逆に日本のよさであったり、日本にいた頃には気づかなかった新しい視点や考え方も多いような気がします。これらの学びは、帰国後の仕事に生かすことができる可能性があると考えています。
今の施設には、血管内イメージングの知識を得たいと思って参りました。ですから、この分野をよく学んでその知識を持ち帰るというのは当初からの目標でしたが、こちらで働くうちに、臨床研究を成立させるための合理的なシステムの仕組みについても、学ぶ価値があるように感じています。私はアメリカに来るまで単施設の小規模な研究しか経験したことがなかったので、多施設による大規模な研究のマネージメントがどれほど大変なことか想像もつきませんでした。症例数が多いことと各施設から質の異なるデータが集まることで、単施設研究では起こりえない問題が生じてくるため、少ない症例数で質の高いデータを収集する単施設研究とは全く違う考え方でデータを管理することの重要性を痛感します。こちらで大規模研究のマネージメントに触れるたび、どのような研究デザインがもっとも現実的に疑問を解決できるか、どのように研究資金を工面するか、どの部署にどんな協力を依頼してどのようなチェック機構を設ければ無駄なく確実にデータの質が維持できるか、等の問題をよく考えるようになりました。
例えば、大きな臨床トライアルには、死亡や心筋梗塞などのイベントを定義してその患者に起こった出来事が定義されたイベントに該当するかどうかを確認するadjudicationという作業が必須です。私の施設では、このadjudicationに関して、該当する可能性のあるイベントを抽出するチーム、それを確定するチーム、その判断をダブルチェックするチームが存在し、これらのチームが有機的に機能して、確実な診断がスムーズに下されるよう工夫されています。こうった合理的なシステムは、なるべくこちらでよく学んで、可能な限り多くのノウハウを持ち帰って日本で生かすことができればと思います。
もうひとつ、留学して実感するのは、日本の医療の質の高さです。いろいろな意味で質の高い医療技術、システムを持つ日本だからこそ、証明できることがあるのではないかと感じています。日本式の丁寧な検査によって診断精度が高まったり、まだ効果の不確定な治療法が日本の技術によって標準治療まで質が高まるということは、十分に起こりうるのではないかと思います。日本の医療の素晴らしさが、世界の医療に貢献できるのではないかという思いが、外国にいることでなおいっそう強くわき上がってきます。
こちらで臨床現場からすこし距離を置いた生活をしていると、かえってこれまで蓄積していた臨床上の疑問をいろいろな手段で解決したい衝動に駆られるのですが、アメリカの医師免許を持っていないためにできることがかなり制限される場合が少なくありません。”アメリカの医師免許を所持し”患者さんを直接治療している医師にプライオリティがあるため、データアクセスの敷居は、日本で臨床医として働いていたときと比べてかなり高く感じます。また大きな研究機関はみなそうだと思いますが、どの医師も業績を上げるのにそれなりに熱心ですから、competitiveな状況に置かれると、医師免許を持たないことや英語力が不十分なことには、どうしても足を引っ張られます。大きなデータを解析できるというのは留学の醍醐味だとは思いますが、日常臨床上の疑問を解決するという臨床研究の原点に立ち返ったとき、シンプルな研究をフットワーク軽く行うことのできない環境に、やはり不自由さを感じます。
彼らの国で、彼らが働いて集めたデータは、やはり彼らにプライオリティがあると、私も思います。臨床研究をする上で、医師としての職を得て”普通に”働いていることの大切さを、改めて認識するようになりました。こういった不自由を経験すると、帰国後には、私も、自分の国のデータで彼らと対等に勝負がしたいという思いに駆られます。
アメリカに来たことで、①合理的な研究システムについて学び、②日本の医療の優れた点をあらためて認識することができたように思います。こういった自分なりの新しい発見は、帰国後仕事をする上で、プラスに働くのではないかと考えています。外国の医療事情を知ることで、これまでになく日本の医療者としてのアイデンティティのようなものを感じるようになり、こうした気持ちが帰国後の仕事のモチベーションを高めてくれるように感じています。

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藤野 明子(New York, USA)