大量の情報から、ひとつのシンプルな事実の解明を

今回はラボの業績の紹介です。基礎研究の内容を含む内容ですが、噛み砕いて書いてみたのでアレルギーを起こさずお読みいただけると嬉しいです。

<心臓の発生から病態へ>

心臓を構成する細胞で最も多い細胞は何でしょう?と聞かれたらどう答えるでしょうか。心筋細胞でしょうか。それとも血管内皮細胞でしょうか。諸説ありますが、心筋細胞や内皮細胞に負けず劣らず多いのが、心臓の間質に存在する線維芽細胞と言われています。

私のボスであるTallquist先生は、チロシンキナーゼ受容体であるPDGF受容体α鎖(PDGFRα)の研究をテーマに研究をされていきた先生です。PDGFRαは線維芽細胞での発現量が多く、内皮細胞や心筋細胞にはほとんど発現していない分子であることがわかっています。PDGFRαを発現を誘導するプロモーターを使ってその細胞の発生過程を追跡すると、「心外膜に存在していた細胞が、心臓の実質に侵入して心臓間質に行き渡り、最終的に線維芽細胞になる」という心臓形成のメカニズムを視覚化することができます。この過程にPDGFシグナルが重要な役割をしており、線維芽細胞のシグナルを人工的に変化させると、線維芽細胞が間質に侵入しなくなり、中隔欠損のような形成異常が起こることを報告しています(Wu et al., Dev Cell. 2010; Smith et al., Development. 2011)。

つまり線維芽細胞を中心とした心臓の発生についてのバックグラウンドがある研究室ですが、ここ数年は生後の病態生理における線維芽細胞の機能に着目した研究がメインテーマになっています。線維芽細胞の分野のトップランナーの一人であるシンシナティ小児病院のMolkentin先生などとのコラボレーションも増えています。こういった仕事の背景から、心臓線維芽細胞の研究の今後についてよくまとまった総説を書かれています(Tallquist et al., Nat Rev Cardiol. 2017; Tallquist. Ann Rev Physiol. 2020)。

<線維芽細胞とは何か>

線維芽細胞は何をしているのか、まだまだ未解明な部分が多い分野です。一般的には正常状態の心臓ではコラーゲンなどの膠原線維を作ったり壊したりして環境を整えていると言われています。一方で、虚血や炎症、高血圧などの病的環境に晒されると、線維芽細胞のコラーゲン産生と分解のバランスが産生に傾いて膠原線維が密の組織ができます。これがいわゆる線維化というもので、線維化した組織は心筋が脱落し、かつ弾性を失った硬いゴムのような状態となります。線維化が心機能の低下や不整脈の原因となることは、本稿の読者層を考えればここで改めて述べるまでもないでしょう。

では線維芽細胞は悪なのか。線維芽細胞がない状態でマウスに心筋梗塞を起こしてみた、という研究報告があります(Kanisicak et al., 2016)。どうなったと思いますか。線維化が抑制され心機能が保持されたでしょうか。結果はなんと、心破裂でほとんど死んでしまったのです。このことから、線維芽細胞は心筋梗塞という「創傷」を治癒するためには重要な細胞であることがわかりました。それでは線維芽細胞は梗塞巣で何をしているのか、という疑問があります。

基礎研究の分野でここ5年ほどに渡ってシングルセルRNA-seqという実験がホットです。簡単に言えば組織から細胞を1つ1つバラバラにして、細胞ごとの遺伝子発現を調べることができる実験です。心臓の分野でも多くの報告がされていますが、最近では一口に「線維芽細胞」といってもその遺伝子発現状態は異なり、いくつかの異なる役割を持つ集団に分けられるようだ、ということがわかってきました。ある細胞集団はコラーゲンを大量に放出し、足場を固めようとしていますし、別の細胞集団はサイトカインを放出して白血球を呼び寄せ、炎症を惹起したりしています。また、逆に炎症を抑制しようという集団もあるようです。つまりT細胞がキラーTやヘルパーT、そしてレギュラトリーTに細分化されていったようなことが、線維芽細胞にもありそうだということです。こういった線維芽細胞それぞれの個性がどのように生まれるのか、互いに変化することは可能なのか、可能であるならばコントロールしている因子は何か、というのが私の興味であり、Tallquistラボの取り組んでいる課題です。現在いくつかの遺伝子に注目して実験を進めています。

<今後の展望>

先述のシングルセル解析や流行りの人工知能を利用した解析など、包括的・網羅的な情報が今まで得られなかった知見をもたらしてくれています。しかし、こういったハイスループットな実験系の結果は、コンピュータによって自動的にまとめられたデータベースの情報に基づいて二次的に解釈されることが増えています。こういった技術の進歩は素晴らしいものではありますが、バーチャルな情報をバーチャルな情報に基づいて積み上げていくことには少し危うさを感じるのも事実です。このような情勢で求められる私たち人間の仕事は、「大量の情報を解釈し、ひとつひとつのシンプルな事実の解明に落とし込む」ことではないでしょうか。そのためにはコンピュータによる情報収集のアルゴリズムを理解し、玉石混交の情報を選り分ける能力が必要です。基礎研究のテーマは人それぞれですが、課題を通して大量の情報を解釈する力を身につけることは、先の見えない情報化社会を生き抜いていく力にもなってくれると信じています。

線維化のコントロールは長年の課題でありつつも、線維芽細胞の不均一性とマーカーの不在、という壁に阻まれてきたという歴史があります。技術の発展により多くの情報が揃いつつある今だからこそ、線維芽細胞の多様性解明は有望な課題となると考えています。加えて、線維化は心臓だけの問題ではなく、肺線維症・腎不全・肝不全、そして癌においても病気の進展に関わる因子となります。自分の研究成果が、線維化疾患の病態解明のために一つでも石を積むことができることを願います。

 

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原 昭壽(Hawaii, USA)