心疾患を1細胞レベルで理解する

今回は、現在私がメインで担当している、心臓を対象としたシングルセル解析のプロジェクトについてご紹介します。と言っても、まだ公開できるデータは非常に限られているので、シングルセル解析とはなんぞや、というところを噛み砕いてご説明しようと思います。


<シングルセル解析の意義>
人体の各臓器は、例えば心臓であれば心筋細胞、線維芽細胞、血管内皮細胞、マクロファージなど、様々な種類の細胞で構成されています。これを図1に示すように、スムージーにする前段階の果物に例えてみましょう。イチゴとブルーベリーはもちろん違う、でも同じブルーベリーであっても、本当は1個1個、見た目も味も違いますよね。さらに言えば、このブルーベリー1個1個の違いは、当然スムージーになった後では分かりようがありません。
このように、同じ種類の細胞でも1個1個性質が異なること、すなわち「不均一性」に近年注目が集まっています。シングルセル解析はその名の字のごとく、1細胞ずつ個別に解析していく、という新しい手法です。このシングルセル解析によって、細胞集団全体をひとまとめにして平均値で評価するこれまでの手法(バルク解析=スムージー)では見逃されてきた、新しい細胞グループや細胞機能が解明できるようになるのです。

図1. シングルセル解析と従来法(バルク解析)の対比

図1. シングルセル解析と従来法 (バルク解析)の対比


個別の細胞を解析する意義を、具体的な循環器の臨床場面に落とし込んで考えてみましょう。一例として、心筋生検はイメージしやすい対象かと思います。鉗子で採る場所によって所見があったりなかったり、また所見がある場合でも、それは1スライスの切片全体に均一的に見られるものではありません。同じ細胞種でも疾患に特徴的な形態を示す細胞とそうでない細胞がそこには混在し、前者と後者を異らしめるものは何なのか、ということを考えることは重要です。
 
<実際の方法>
少し実際の実験方法について触れたいと思います。心臓を分解して得られる細胞溶液から1個ずつ細胞を単離する方法は、数種ありますが、私たちのラボでは、非心筋細胞に関してはFluidigm社の流体力学ベースのシステムを使用しています(図2)。心筋細胞はサイズが大きすぎて同システムには適合しないため、顕微鏡下にピペットで1個ずつ吸い上げる、というマニュアル作業をしています(図3)。さらに、1個ずつの細胞における遺伝子発現を、RNAシーケンス(RNA-seq)や定量PCRで網羅的に解析し、病的意義の大きい細胞に特徴的な遺伝子発現パターンを特定します。
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図2. (A) ラボ内のFluidigm社C1 (左: 細胞溶液から1個ずつの細胞に単離する機器)およびBiomark (中央: 1細胞サンプルの定量PCRを行う機器), (B) C1のチャンバー内に捕捉された1細胞の顕微鏡写真(筆者)


 
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図3. マウス心臓を分解して得られる棍棒様の心筋細胞(筆者)


 
<多額のコストと膨大な情報量>
このシングルセル解析には、とてもお金がかかります。例えば図2にお示ししたFluidigm社の機器は2つ合わせて4,000万円近くしますし、それぞれ1回の使用で数〜10万円ほどのランニングコストがかかります。そういう意味でも、これらの機器を用いた実験には、他の実験にはない緊張感が伴います。現実的には研究資金が潤沢なビッグラボでしか扱うことができない手法だとも思いますが、今後の低価格化が期待されるところです。
また、解析の結果として処理すべき生物学的情報が膨大であるため、バイオインフォマティクス(生命情報科学)の専門家との協力が不可欠です。私自身、バイオインフォマティクスには派生的に興味を持ち、また専門家との共通言語をある程度蓄えることも有用と考え、関連するワークショップに参加するなどして勉強しています。
 
<今後の展望>
2018年を振り返るScience誌の年末特集号において、シングルセルRNA-seqは「Breakthrough of the Year」のトップに取り上げられており(文献1)、また循環器領域でもここ数年で一流誌に立て続けに心臓を対象とした同解析の研究成果が発表されるなど(文献2、表1)、シングルセル解析は、新たな知見を生み出す手法として非常に有用であり、かつ研究手法の一種のトレンドになっています。
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表1. 心臓を対象としたシングルセルRNA-seqの研究成果 (文献2)


さらなる技術革新も驚くほどのスピードで展開しており、例えば、シングルセルRNA-seqを特殊な顕微鏡装置(laser capture microdissection: LCM)と組み合わせることによって、組織切片からダイレクトに、特定の1細胞が周囲とどのような関係性でどう挙動しているかを見る方法(LCM-seq)も開発されています(文献3、図4)。今後は、先述のように心筋生検検体などへの臨床応用も進むことでしょう。
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図4. LCM-seqの概要 (文献3より編集)


すでに、ただシングルセル解析を行ったというだけでは研究としての新規性に乏しくなりつつあり、私たちもそのことを念頭に置いて、独自の切り口で研究を進めているところです。
 
<引用文献>
1. Pennisi E. Science. 2018;362:1344-1345.
2. Ackers-Johnson M, et al. Nat Commun. 2018;9:4434.
3. Nichterwitz, S, et al. Nat Commun. 2016;7:12139.

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川瀬 治哉(Bad Nauheim, Germany)