「命は無料ではない」ということ。

今回は「日本の医療を見つめ直す」という壮大なテーマですが、日本からお隣の韓国に2年弱の間、主にカテ室で手技に従事、それ以外はリサーチ業務に勤しんでるだけなので、180度考えが変わったということは残念ながらありません。また、どこへ向かっていくべきか、など大それたことも言うことも今の僕にはできません。ただし、日本を基準にすれば、人口が3分の1に過ぎない半島にある、日本の大病院の3倍規模のHigh volume centerの、極めてAcademicな特殊な組織に属した経験から感じたことを述べようと思います。日本と韓国は非常に似ているけれども、医療の世界においては根底に流れる価値観で最も異なるのはずばり「命は無料ではない」ということ。
韓国の健康保険は日本と同じ国民皆保険です。ただし、1997年にIMF(国際通貨基金)による救済金融を受けた経験によるものか、政府の健康医療費に対する管理は日本のそれと比較してかなり厳しいようです。ご存知の方も多いかと思いますが、冠動脈へのステント留置は生涯で3本まで保険還付が認められており、それ以外は自費診療になります。日本で議論されている混合診療は普通に行われており、特に問題となっていることはないようです。このステント本数の制限は一見無謀に思えますが、ある意味非常に理にかなっております。ステントが3本以上必要な多枝病変をもつ患者は基本的にCABGの適応であります。CABGの臨床成績はPCIに比較して良好であるというエビデンスが、常に医療従事者に暗黙のうちに提示されます。低侵襲治療を望む患者に対して自費診療の可能性について説明せざるを得ず、低侵襲治療を望むか否かが、医療従事者側ではなく患者側によって積極的に決定されることとなります。極端な言い方をすれば、日本でよく遭遇する「先生の正しいと思うことをやってください。全てお任せします。」は医師と患者の良好な関係だけれども、医師の正しいと思うことはあまりにも多くの要素に影響され、「その時点で」「医師個人が」正しいと「思う」ことに過ぎません。それが、医師によっては「患者個人」レベルであり、「患者と家族を含めた」レベルでも、「最新の知見の基づく」レベルでも、「医療行政を含めた」レベルでもあり得る。その時点でベストな判断をしたと思っていても、後々に新たな知見を得て根本的な発想が転換されれば、必ずしもベストではなくなることも往々にしてあります。医師がコントロールできるのは明らかに最新の知見に基づくレベルまでであり、医療行政はそれを超えています。
 
しかし、日常臨床において矛盾を感じる場面は韓国より日本の方が多いように思えます。そして「その時点でベストな判断をすれば良いではないか」と言うのは簡単ですが、ベストな判断をしたのか、レトロスペクティブに振り返る作業は、特に侵襲的な治療に携わる我々には必要であります。その作業を最も効率的かつ科学的に行えるものが臨床研究であり、未来においてベストを尽くせる自分であるべく、日々常にベストを尽くし研鑽を積む毎日です。

s_yung
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尹 誠漢(Seoul, Korea)