読み書きよりもまずは日常会話を最低限できるレベルまで練習すべきであった。

留学先のボスであるS.J.Park先生とのインタビューで留学が受諾されると、留学先からCV、資格証明書、学位の複製、Recommendation letterを求められた。VISAについては、留学先によって事情は異なるが、私の場合は不要で(韓国籍なので)、妻は日本国籍のためF6ビザを取得した。自分の場合には、子供達(当時3歳の長男、3ヶ月の長女)が2重国籍のため、日韓両国のパスポートを取得した。留学まで時間がなく、長女のパスポートは1回限りのものを取得、入国後に再度取得しなおすことにした。当時は栃木県宇都宮市にいたため、これらのビザ、パスポートの申請には東京まで何度も往復する必要があり、留学前はかなり慌しかった。また、子供達の予防接種についても両国の予防接種事情が異なり(特に生後間もない長女もいたため)、事前に詳細に調べて対応する必要が会った。韓国は基本的に米国の予防接種に倣っているので、若干日本の予防接種と異なる部分があったが、日本で済ませられるものは勤務先の小児科の先生にお願いして早めに済ましておいた。
生活しているとそうしまいと気をつけていても、知らない間に物に囲まれて暮らしているもので、留学前にはかなりの家具があった。中にはそれなりに高価なものもあり、すべて処分するわけにもいかなかった。留学された先輩方の中には、トランクルームで保管された方もおられたが、とてもトランクルームに収まる量ではなく、空調完備のものとなると高価で、帰国時期も未定な状況では適切な方法とは思えなかった。両親には申し訳なかったが、実家の空きスペースに置かせてもらうこととした。結局、国内用と海外用との引越しが必要で、業者に依頼することとした。海外用の引っ越しにも航空便と船便との2種類があり、船便は1〜2ヶ月後に到着するため、渡航後すぐに必要なものは航空便、それ以外は船便とした。留学した今となっては、自分の個人的な所有物は100枚程度のCDだけで(現時点で聴くものも数枚と非常に限られている。)、いかに不要なものに囲まれていたのかと痛感した。それと同時に、今回の留学を通して、自分に本当に必要なもの、自分が本当に好きなもの、好きだとおもっていただけのものがクリアーになったとも感じている。
留学の予定時期の3ヶ月前が長女の予定日であったため、渡航後にホテルに滞在し、その間に物件を見学し契約するという方法は、母子の体調面を考慮すると非現実的であった。4月から留学開始を予定していたため、2月に事前に渡航し、物件を見学し契約しておいた。家賃が事前に発生するデメリットがあったが、後々考えてもこれは賢明な選択であった。
渡航直後はホテルに滞在し、自宅のセットアップに奔走した。家具、調理道具など生活に必要なものを一通りそろえ、はじめて自宅へ入居するまでに1週間程度かかった。もし、事前に物件を契約していなかったら、さらに1週間伸びていたであろう。その後は妻のVISA切り替え、身分証明書の取得、国内居所申請、子供のパスポートの再取得などの手続きを行った。出入国管理局では私の韓国語が全く機能せず、日韓の国際結婚に加え、私が在日という特殊なケースのため、管理局側も不慣れで非常〜〜に大変であった。
渡航前は何とかなるだろうと楽観視していたが、言語が不自由なことからくるストレスは過去に味わったことのないもので、これが英語圏であったらもっと楽だろうに、と思ったことは何度もあった。このストレスはアサン病院での留学開始以降は増大するばかりで、結局8月の後半に夜間語学学校に通うまでは解消されることはなかった。
今、当時の状況を思い返すだけでも、頭が痛くなる気がするほどきつい状況であった。これには原因が3つあると思う。まずは最低限の語学力が必要であったこと。読み書きよりもまずは日常会話を最低限できるレベルまで練習すべきであった。次に生活のセットアップをするにも、現地の事情を知らず、詳しい知人もいなかったこと。これは前任者がいない留学にはつきものであるが、言語の障壁が加わると想像以上にきついものであった。家具付きの住宅などという便利な物件はなく、頼れる知人もろくにいなかったため、ホテルのコンシェルジュにどこで家具を買ったら良いかなど質問した位だった。最後には3歳の長男と3ヶ月の長女と一緒に行動していたこと。何をするにも、夫婦のうち一人は長女を見なくてはならず、長時間の外出は難しかった。何度も繰り返すようだが、非常に大変な時期であったが、このセットアップが終わった後も日々の生活が支障なく、快適に暮らせるようになるまでには更に数ヶ月を要した。しかしながら、1年半たった現在では日韓の双方の長所、短所を感じつつ、日々の生活をエンジョイできている。

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尹 誠漢(Seoul, Korea)