くじけそうになった時には、、、


「歳を取ることはそれほど怖くはなかった。歳を取ることは僕の責任ではない。誰だって歳は取る。それは仕方のないことだ。僕が怖かったのは、あるひとつの時期に達成されるべき何かが達成されないままに終わってしまうことだった。それは仕方のないことではない。」~村上春樹著『遠い太鼓(講談社)』より~


1. 仕事面でのダークサイド

留学前にもっとも不安だったのは、日本の日常臨床からしばらく離れることになる、ということだった。海外留学をするからにはそれは当然のことであるが、やはり不安であった。手技や診療を行わない(行えない)環境から日本へ戻った時に、はたしてスムーズに再開できるのかどうか、現在もなお不安である。実際留学した後に、まず最初にぶつかった壁としては、『何をしたら良いのか分からない』、と言う事だった。決まった仕事が無かったのだ。それまでも当施設には、後期研修医のようなフェローは数多くいたようだが、私の様な立場でフェローとして働いていた医師がいなかった為だと思われる。前例が無いということは逆に考えれば、何でも自分の好きな様にできる、ということなのだが、当初はかなり焦っていた記憶がある。しばらくは、とにかく自分にできることをやろう、と考え、症例終了後のシース抜去・用手圧迫を買って出たり、同僚が準備していたボスのスライド作りを手伝ったりしていた。そのような日々が続き、ひょっとしたらこのまま1年くらいすぐ過ぎてしまうのではないか?と、かなり不安であった。そこで病院内でも、アペリティーボの時でも、ボスや同僚に対して、自分の留学目的を積極的に伝えるように努力した。

実は、以前からボスもある程度考えてくれていたようで、しばらくしてから臨床研究のネタを与えてくれた。臨床研究のネタが得られたこと自体は喜ばしいことであったが、それと同時にいろいろな仕事が回ってくるようになり、コントロールが難しくなってしまった。大ボスや中ボスのスライド作成依頼が非常に多く、また学会・研究会での症例発表要請も数が増えていった。カテーテル治療で助手に入るように指示されることも多く、日中はほぼカテ室内で過ごす日もあり、スライドの準備に追われるようになってしまった。おまけに、新たに来た若いフェローに対して、CAGやPCIの指導を命じられ、慢性的なオーバーワークとなってしまった。そこで感じたのは、仕事を断る勇気が必要と言う事だった。私だけではなく日本人の特徴かもしれないが、仕事を依頼されると全てに応えようとしてしまい、なかなか断ることが出来ない。最近では、ある程度自分のポジションが確立されてきたこともあり、依頼される仕事の内容を考え、後回しにしたり断ったりするようにしている。

金銭面に関しては、残念ながら全くの無給である。実は現在の施設へ見学に来た時、ボスとの面接で、「うちの科でやっている市販後調査や治験などの謝礼金の一部を、渡してあげられるかもしれない」と言われていたので、若干期待をしていた。しかしながら、1ヶ月が経過してもその話は出ず、2ヶ月、3ヶ月と時間が過ぎていくうちに、ボスがミラノの大学病院へ異動してしまったのである。当初は、私もボスと一緒に施設を移ることを検討していたが、1)ボスの異動先がカテ室の立ち上げ段階であり、まだそれほど症例数がないこと、2)異動後もボスは週に1回ほど現在の施設にくること、3)私が両施設の橋渡しとして、共同臨床研究の手伝いができること、などをボスと話し合い、現在の施設に留まることになった。また、中ボスが私のことを非常に信頼してくれていることや、同僚が積極的に臨床研究に誘ってくれることなども、残留する要因となっている。なお給料に関しては、指導をしている後輩フェローたちから、「トムは病院から給料をもらうべきだ」という暖かい言葉をかけてもらっているが、中ボスからは、そのような話が出ることは全く無いため、機会を伺っているところである。

2. 生活面でのダークサイド

仕事面でも述べたように、所属施設からの給与が全く無いため、やはり経済的な不安は非常に大きい。正直なところ、貯金額が減っていくのを目の当たりにするのは、精神的に辛いものがある。また欧州に住んでいるということで、距離的にはこちらで開催される学会や研究会に参加し易いわけであるが、当然参加費や交通費が必要になる。開催地によっては、宿泊費も必要になってくる。学会によっては、フェローとしての証明証があると、参加費が減額・免除となるため、できるだけボスに書いてもらうようにしている。

留学前には、怪我や病気などの健康面も心配であった。イタリアはビザ発行時に、民間の海外医療保険加入が義務付けられているため金銭的には心配なかったが、念のため出国前に可能な限りのメディカルチェックを行なった(特に症状は無かったが、胃内視鏡検査も自主的に受けた)。現在までのところ大きな怪我や病気はないが、困ったのは以前に治療した歯の詰め物が取れてしまった事だ。海外医療保険では、歯科治療はカバーされないためかなりの高額になってしまう。幸い、痛みや腫れなど特に症状がなく、一時帰国する直前であったため、日本滞在中に歯科医院を受診し治療することが出来た。今後留学を予定している先生方には、症状がなくても留学前に歯科受診することを強くお勧めしたい。

実際に住んでみて意外だったのは、アジア人に対してあまり良い印象を持っていない人が結構いるということだった。留学当初は、イタリア語がほとんど理解できず分からなかったが、自宅周辺を散歩中、地元のおばさんとすれ違う時に「いやだわ、またチネーゼ(イタリア語で中国人の意)がいるわ」とつぶやかれていることがある。はっきりと聞き取れてしまった時には、何とも言えない悲しい気持ちになる。極めつけは、一度だけだが、病院へ出勤している途中、救急外来の前を通った時に、今しがた救急車で運ばれてきたばかりのイタリア人のおじさんと目が合って、ストレッチャーの上から「チネーゼ!(中国人だ!)」と叫ばれた事である。この時は思わず「ノー、ソノ ジャポネーゼ(いえ、私は日本人です)」と言い返してしまった。

留学前は治安に関しても不安であった。前もって、外務省のホームページなどで邦人が巻き込まれた事件の概要などを調べたりしたが、イタリアでは特にスリが多いということだった。実際に、ヴェネチア本島や大きな駅ではスリが非常に多いらしく、地元に長年住んでいる日本人の方でも被害にあっている人がいる。しかしながら、私の自宅周辺は、かなり田舎という事もあってか、スリも含め凶悪な犯罪は殆ど無いようだ。幸いにして私自身、犯罪に巻き込まれたことはなく、田舎で良かったな~と思っていた。ところが、先日大事件が起きてしまった。ちょうど、当施設と共同研究を行なっている大学病院を訪れるため、シエナという街へ3日間ほど滞在して、自宅へ帰ってきた時のことだ。朝起きて病院へ行こうと自転車の鍵を外そうとした時、妙な違和感を感じた。その時はややボーッとしていたためか、気づかなかったのだが、鍵を外していざまたがろうとした時、ある物が無いことに気がついた。なんと、後輪が無いのだ。状況を理解するのにしばらく時間がかかったが、確認すると、前輪はちゃんとあるが、後輪だけ外されていた。バス停や病院の駐輪場ではなく、自宅の前に止めていた自転車の後輪を持って行かれたのは、かなりショックだった。外すなら後輪より前輪の方が労力が少ないのでは?などといろいろと考えると、さらに悲しくなってしまった。しかもこの自転車、地元のイタリア人の友達が普段使ってないからと、貸してくれた自転車だったのだ。たまたま翌週が誕生日で、友人たちが私の自宅で誕生日会をしてくれたので、その場で「申し訳ないのだが、自転車の後輪が盗まれてしまった」と伝えた。すると、彼は笑顔で「ベンヴェヌート! イニターリア(イタリアへようこそ!)」と答えたのだ。この時ばかりは、イタリアの奥深さを感じてしまった。

3. くじけそうになった時には、、、?

実際留学する前の段階で、予想していた事もあれば、予想できなかった事もある。どちらかと言えば、予想できなかった事の方が多く、正直に言えば、日本に帰りたくなってしまうような場面は度々あった。そんな時はどのように乗り切るか?実はちょうど一年前に開催された、SUNRISE YIAでの発表を思い出すようにしている。10分弱の短い発表ではあったが、これまでの自分の人生を振り返り、留学する理由を見つめ直し、帰国後の目標を熟考するという作業は、自分自身を見失わないようにする枠組みを確認する上で、非常に良い機会であった。発表に使用したスライドを見返すこともあるくらいだ。まあ、簡単に言えば、初心を思い出すようにしているということだが、、、。そして、「大丈夫、何とかなるさ」と自分に言い聞かせ、根拠の無い自信と究極の楽観主義で乗り切っていくことにしている。

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梅本 朋幸(Italy)