「まあ、失うものは何もないしな」という気分で

皆様初めまして。私は現在、千葉県にあります亀田総合病院にて循環器内科医として勤務しておりました末永祐哉(まつえ ゆうや)と申します。この度、オランダ、フローニンゲン大学循環器内科にリサーチフェローとして留学するにあたり、世話人の方々の御好意により、Sunrise Lab.の海外留学のレポーターを務めさせていただくことになりました。
①なぜ留学しようと思ったのか
なぜ留学をしようと思ったのかを話すには、私の循環器内科として(というか、医師として)育った環境が大きく影響していると考えられるので少しそのことについて触れたいと思います。
私は鹿児島大学を2005年に卒業しました。スーパーローテート方式の2年目にあたる学年です。もともと千葉出身であったこともあり、卒業にあたり関東に戻り、亀田総合病院で初期研修医として16人の同期とともに医師としてのキャリアをスタートさせました。同期はとても優秀で、学生の時から名前が知られているような奴も数人おり、そんな同期と通称「レジ小屋」といわれるところでほとんど24時間一緒に過ごしました。みなあまり家に帰らず、仕事をして、終わると夜レジ小屋に帰ってきて、今日出会った症例や、医学的な疑問を話し合い、教えあっていたのですが、そんな優秀な同期ですからディスカッションになった時、とても日本語の教科書に書いてあった、なんて口が裂けても言えないわけです。院内の電子カルテがすべて「Up to Date」につながる環境であったのもあり、わからないことはすべて英語文献で調べる癖がこの頃につきました。

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3年目に循環器内科後期レジデントとなってからも、毎日ぶち当たるクリニカルクエスチョンのエビデンスを調べる毎日を送っていたのですが、その中で当たり前と考えられ、教えられてきた事にも厳格なエビデンスがあるものと、そうでもないものがある事と、自分が過去の偉人が積み上げてきたエビデンスをもとに日々診療をしているという極々当たり前の事に今更ながら気づき、それを利用するだけではなく、自分でも後に続く循環器内科の医師が目の前の患者の治療方針で困った時に参考になるような臨床研究をしたい、と強く思うようになりました。
それ以来手探りでいろいろな方に相談したり教えてもらったりしながら臨床研究を組むようになり、またそれを論文にして投稿すると、世界中のレビュアーから評価がもらえることがとても楽しくなっていきました。クリニカルクエスチョンを明らかにする→調べる→学会で発表する→論文化する、というサイクルをしばらく続け、2010年に初めての論文が出てから、3年で12本の筆頭著者の論文を書き、またその中の1本は日本循環器病学会のガイドラインが2013年に改定された際に引用されました。この事は「目の前の患者さんをどう治療すればよいか悩んだ時に役立つ臨床研究を」という自分の信念にはある程度かなうものではあり、とても嬉しかったのですが、その一方で何か漠然と自分の成長が頭打ちであることに悩むようになり、自分が今よりも大きく成長するためにはもう一度じっくりと真摯に科学に向き合う時間が必要だと考えるようになり、その為に海外留学したいと思うようになりました。
②留学先の選び方
私の専門は臨床心不全なのですが、その中でもここ数年心不全に伴う腎不全(Cardio-renal Syndrome)に強い興味を持って様々な論文を読んでいました。その中、特に自分が興味を持つ論文がある決まった施設から出ていることに気づきました。それがオランダにあるフローニンゲン大学でした。しかし、これまで日本からいわゆる「臨床心不全」のクリニカルリサーチで留学した日本人は自分が知る限りはいなかったですし、フローニンゲン大学にいわゆる「つて」も全くなかったので、「まあ、失うものは何もないしな」という気分で自分のCVを添付したメールにクリニカルリサーチフェローとして受け入れてほしい、という旨を書いて論文に記載されていた今回の留学の指導医であるAdriaan Voors先生のメールアドレスに送ったところ、すぐに返事をいただき、では電話で面接しよう、という事になりました。緊張したのですが、とても優しい雰囲気で面接していただき、どうにか無事電話面接を終えることができました。その後シカゴで開催されていたACCで直接お会いして、正式なクリニカルリサーチフェローとしての受け入れの承諾をいただけました。

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 ③困難であった点
結果的には一番行きたかった留学先に行けることになったので、留学を決めるまでには特に困難であった、という点はないのですが、一番の問題は資金でした。いくつかの助成金にアプライしましたが、全滅でした。それなりにCVには自信があっただけに、結構落ち込みましたが、「だから留学をやめる」というという考えは最初から毛頭なかったので一旦自費で留学することとし、引き続き海外からもアプライできる助成金に応募することとしました。
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写真1: 19th亀田総合病院レジデント修了時の写真。
写真2:送別会。米国で医師をしている2人以外はほとんど参加してくれました。

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末永 祐哉(Groningen, Netherland)