Anything I feel unfair is all because of myself.

“Anything I feel unfair is all because of myself.”
 
これが、この1年の留学で感じたことです。
英語が間違ってたら恥ずかしいので、どなたでも教えて下さい。
 
ここではunfairなことが山ほどあります。
こつこつ頑張っていれば最後には必ず報われる。頑張っていれば、きっと誰かは見てくれていて、ハッピーエンドになるんだ。なんていうのは妄想です。どんなに頑張っているつもりでも、それが伝わっていなければ、容易に自分にとってunfairだと思うような決定が下されます。そして、それは自分ではどうすることもできず、結局同僚に愚痴って終わる。最初はそんなことが多かった気がします。
しかし、1年経って思うのは、それは結局のところ自分の実力のうち、ってことです。そうなる状況を作っているのは全部自分自身であって、自分が変わらなければ何も良い方向には向きません。これは何も海外に限って言えることではありませんが、特別難しくなる要因の一つは語学力です。
考えていることを正確に相手に伝えられなければ、全く意味がありません。周りからすれば何もわかってないのと同じことになります。日本人にとって英語という全く構造の異なる言語は非常に大きなハンデになってしまいます。うちのプロフェッサーは比較的日本人慣れしているというか、不慣れな英語でも辛抱強く聞いてくれますが、それでも、流暢に話すフェローとそうでないフェローの扱いには差があるように思います。非難しているわけではなく、当然の事だと思います。
海外において日本と異なるもう一つの点は、文化的な違いでしょうか。私自身もそうなのですが、自分をアピールすることが苦手な日本人は多いと思います。『わびさび』にみられる簡素で自然、閑寂さの中に奥深さを見出す、こういった日本人の美意識は行動に現れます。ヨーロッパの華美な建築と、日本の伝統建築を想像していただければわかりやすいと思いますが、それがそのまま行動の違いに出ているようなイメージでしょうか。口が達者であることも一つの大事な技術だと思います(日本語のニュアンスの通り、実力を伴わない場合も多いですが)。
こういった背景が、コミュニケーション力を相対的に低下させます。日本人的には、仕事はクオリティとスピードで勝負だ!とか思うわけなんですが、この方法だと、どうしても時間がかかります。本当の信頼を得るには、もちろんこちらが大事で、前者だけだと時間が経つにつれて化けの皮が剥がれていくわけですが、異なる文化に適応したこのコミュニケーションスキルは、留学初期や特に初対面の人と接する時などの短期戦で生きてくると思います。
留学初期に感じていたunfairnessは、幸いにして減ってきているように思います。海外留学という全く新しい、しかも異なる文化、環境の中でのゼロからのスタート、逆境とも言えるような状況を打開するには、自分を変える、自分を成長させることで周りを変えていくしかありません。これは留学のダークサイドであると同時に、醍醐味の一つであるとも思います。
 
“Anything I feel unfair is all because of myself.”
 

y_sotomi
y_sotomi
外海洋平(Netherland)