1. はじめに -”論文”も”留学”も語りつくせない物語があるー
今回、皆さんからはるかに遅れまして、ようやくSUNRISEのSupportersとしてレポーターを開始させていただきます。文字数の限界もありますので、エッセンスのみをまず記載させていただきます。不足する部分は新たにオープンしましたホームページの方でも記載させていただきたいと思いますし、もっと詳細が聞きたいという方は、お手数ですがご連絡いただけましたら幸いです。
(これは2020年1月1日フィラデルフィアに向かう飛行機の中で書き始めました。留学をまだ完全に始められてはいませんでしたが、その時点でテンション上がってるまま書かせていただきます。)
これまでの15年ほどの臨床と、比較的短い研究者としての経験から
「論文には文章からは語られない物語がある」
というのを、比較的よくお話させていただいておりましたが、今回留学を始めるにあたっても
「留学には語り尽くせない物語がある」
ということを強く感じており、このことについても今後皆さんに伝えてゆくべきことだと感じています。
(まぁこれが公開されるようになった2020年春にはコロナ騒ぎとなり、予測外の物語も出現していますが(笑))
先人の方々も数多くの苦労をされていたのだと思います。自分も留学前から散々な思いをしております。これからもきっと厳しい道のりだと思ってます。
自分のように”おっさん”になってからの厳しい留学という辛い辛い道のりも、多分どこかの誰かの役にはきっと立つと思いますので、是非一つの参考にしていただけたらと思います(完全に個人の経験に基づくものです)。
2. なぜ留学しようと思ったのか
多分大体これだけで数時間は話できる内容なのですが、少し重要なメッセージだけ伝えたいと思います。もともと、留学はずっとしたかったのです。しょうもない話ですが、行ったことないのであれば行ってみたい、ぐらいの軽い気持ちがほとんどです。ただ、結構まぁ大体上の先生も留学されているイメージもあるので自分も行くかなぁという感じで考えていたわけです。これもおそらく間違いないのですが、留学をしたいしたいと口にしていれば、間違いなくチャンスは訪れます。誰かがきっと声をかけてくれます。本当に感謝しかありません。自分にも30代前半に2回ほどありました。しかし、結局今に至ります。実は結構コンサバで、なかなか吹っ切れなかった部分があると思います。その中では、本当に留学したいのか?という葛藤も少しはあったかもしれません。
ただ、重要なことは
「“何”をしたいのか」
という事につきます。そしてきっといくつか訪れるであろう機会の中に、自分が本当にしたいことが含まれているのか?ということを考えることは重要です。「留学」は目的ではなく「手段」だからです。「“何”を学ぶ」ということさえ決まれば、当然勝手に進んでゆきます。
もし、これを読んでいるのが卒後間もないような先生であれば、おっさんの小言として覚えておいてほしいことがあります。自分がしたいことを選ぶのが非常に重要なのですが、年を取ってくると「世の中が自分に求めてること」とか「自分がするべきこと」を感じるような時があると思います。こういう話は結構胡散臭いですし、ちょっとダサいですが、年を取ると直感、速度感で感じられるときがくるような気がします。以前、よく後輩にも言っていたのですが、もし自分がしたいことと、世の中が自分に求めているようなことが結びつくと、なんか異常な速度で物事が進んでいくことがあります。自分は比較的なんでもかんでもやりたがる感じなのですが、その中でもこの「行動経済学」に関しての自分の周りの変化・速度感は異常でした。そういうときの方がまぁ後悔なく進むかもしれません。まぁおっさんの小言みたいな感じで聞きながしてください。
ということで、結局自分は、最終的に医療における行動経済学を体系的に学ぶという「目的」のために留学という「手段」を選択しました。
3. メンター、ロールモデル
メンターの定義によりますが、刺激を受けた先生方はたくさんいらっしゃいます。行動経済学の領域では、一緒に書籍を書かせていただき、班会議などでも勉強させていただいている大阪大学の平井先生や大竹先生、そして慶応大学の後藤先生は神戸中央市民病院の先輩でもあり、相談に乗っていただきました。
循環器領域であれば、香坂先生や心臓外科の田端先生のような、いわゆる海外留学帰りのカリスマ世代(初期臨床研修開始世代からすると感染症の岩田先生達もいらっしゃる海外帰国組の黄金時代)や、当院の小宮山部長たちのように有名ラボからの帰国された先生、そして、後輩であればSUNRISEでもおなじみのDuke にいった猪原先生や尿酸というジャンルを選択した桑原先生のような様々なロールモデルがありました。
また、循環器以外でも聖路加国際病院の同期で、米国でずっと活躍されている津川先生や、山口先生といったいろいろな活躍の仕方や、キャリアプランも非常に刺激になりました。
もう一つ特筆すべきロールモデルというより尊敬するようなキャリアプランとしては、丹羽公一郎先生は外せないと思います。丹羽先生は特にある程度成熟されてから、海外に行かれており、またかなり特殊な留学の方法だと思います。多分この話だけでも一晩中語れるでしょうが、米国のラボを渡りながら日本に成人先天性心疾患の概念を構築されました。このように一つの分野を築くということは、これは本当に素晴らしいことだと思います。
自分は自分のできることしかできませんが、このような先生方の生き様を見ながら、一つ一つできることをやってゆきたいと思ってます。
4. なぜ現在の留学先を選んだのか
行動経済学の詳細は今回省かせていただきますが、臨床現場の意思決定における悩みがあり、医学界新聞でもご紹介させていただきました「ファースト&スロー」と出会いました。そこからはいくつもの書籍を拝読させていただき、行動経済学を勉強したくてしたくてたまらなくなったのです。色々なご縁から、当時大阪大学の平井先生が開催されていた班会議に参加させてもらい、色々勉強させていただく機会をいただきました。どうも医療の行動経済学はそこまで体系的に勉強できる場所は日本にないということだったので、世界であればどこで主に実践されているのか?というお話を大阪大学の大竹先生に伺い、今回勉強させていただくペンシルバニア大学を挙げてもらった次第です。当然誰にもコネクションがなく、本当にここが一番良いのか?ということも全くわからなかったのです。自分の少ない知り合いにも聞きまくりましたが、自分のように海外に疎いものとしては、ハーバード大学とかスタンフォード大学の方が有名大学だろうし、その辺にどうしても集約されているんじゃないのか?という“しょうもない”イメージを払拭することは最初なかなか難しかったです。
当時たまたま2017年にはシカゴ大学のリチャード セイラー先生がノーベル経済学賞を受賞され皆さんにも“ナッジ”という言葉が有名となり、また少し行動経済学に注目が集まってきてました。実はシカゴ大学にいくプログラムもたまたま見つけていたので、シカゴ大学にいけば行動経済学を勉強できるか?ということもあり、セイラー先生が日本に来ているときにお会いする機会があり、その時に伺ってみた感じだとセイラー先生は正直なところ忙しすぎるようで、シカゴ大学では直接教えてもらえるチャンスはほぼゼロだと予測しました。もちろんPhDコースの生徒として入るとなどのオプションはあるのでしょうが、経済学です。そのときにもペンシルバニア大学の話をしてみたところHealth careはPennがいいよという話もされていたので、最終的にペンシルバニア大学に是非行きたいというモチベーションとなったわけです。結果としては、完全に感覚・イメージで決めてます。
本当にどこに行くのか?そしてコネがない人たちにとってはとても難しいことだと思います。ただ、飛び込んだら対応してくれることはあります。多分正解はないのですが、自分なりの納得をどのあたりで得られるのか?ということを考えて決定するのがよいでしょう。そもそも、自分たちにあまり選択権がないかもしれませんが、まぁ最初に選ぶときぐらいはこちらで決めさせてほしいと思います。
当時の自分にとっては信頼できる先生が複数人以上勧めてくれるような場面であれば問題ないかと考えていました。これは行動経済学の理論でもいくつか取り扱えることもありますので、それはどこかでまたご紹介しましょう。
5. 留学するにあたって困難であった点、どのように解決したか
正直な話、悲惨なプロセスでした。困難だらけです。とりあえずここでは、何より皆さんに伝えておくべき2つのポイント
① 大使館も含めて事務手続きの人は責任範囲が決まってるので自分の仕事しかしない (留学先の手続きはDepartmentのHuman resource担当、さらにappointment は Employment office)。
② DS-2019を貰うまで、VISAが来るまで、留学はただの口約束
ということです。Appointment letterも、その前のGrantをとるためのLetterもただの紙切れです。特に日本にいる間はPDFでのやりとりでしょうし、何の役にも立ちません。
おそらくAppointment letterにサインが入って初めて効力が発揮されるのでしょうが、間違いなくこれもいつでもかき消そうと思えば消えるものです。これを書いている1月の時点で自分もようやくVISAを貰いましたが、またいつでもかき消されることがあるという覚悟でおります。アメリカに来ても事務手続きは全くうまくいった試しがありません。まだまだトラブル続きです。
全く事情も分からない中で、多分先輩の留学されている先生がいればその先生との密な連絡。そして、初めてのラボでは、条件の交渉を実施し、早々にHuman resourceの人につないでもらう事です。強く強く、粘り強く、この部分を進めます。あちらは全くさぼっているわけではないです。自分ははっきり言って油断していました。担当の先生がいればすぐ進むのでは?大体2か月でDS-2019がでるよという噂を信じていたのですが、これは嘘です。自分の大学では6か月はかかると最初から言われて血の気が引く思いでした。是非皆さんは留学の口約束をとったら、次には実際の条件をさっさと詰めてしまうことを推奨します。自分のようなおっさんになってると、J-1 VISAでは受け入れられないとか全く根も葉もないこと言われたり、保険とかの関係もあるでしょうから、特に海外からの受け入れに慣れていない施設だとより注意が必要です。
6. 留学までの国内での書類の流れ
口約束 ⇒ 先方の施設からのLetter ⇒ 助成金書類 ⇒ Appointment letter ⇒ DS-2019 ⇒ VISA ⇒そして生活セットアップのための無限大の書類
という流れです。
まず、自分は年齢がギリギリというよりアウトでしたので、出せる助成金・グラント申請がかなり限定されていました。自分は留学先がとりあえず口約束で決まってから、放っておいたら全く何も進まなかったです。助成金関係の締め切りのため、2018年11月ぐらいにLetterの下書きを用意して、先方からサインをもらいました。そして、ようやくサイン付きで、グラントに申請をすることができます。多分このあたりは色々あるかと思いますが、所属長やRecommendation letterを日本か海外からもらう必要がある部分をしっかりチェックして相手に依頼しましょう。多分このあたりはみんな同じでしょう。自分は海外大学院には行く予定はありませんでしたが、大体11~12月は米国などの大学院の締め切りもありますので同様にチェックしておいてください。多分、自分も含めて、人は締め切りがないと動かないので締め切りのチェックは重要です。
次は何より、Appointment letterとDS-2019です。これを貰わないと何も進みません。
先に言いましたが、この文書を貰うまでは全く何もない状況です。先のグラント申請時に使用するような留学先に来ていいですよという手紙(Letter)など全く効力を発揮しません。実際に私はそもそも途中留学自体も完全消滅させられそうになりました。まぁ、色々ありましたがなんとか、ポスドク扱い?でもう一度プロセスやり直ししてもらうことになりました。
(多くの人のアドバイスのおかげです)多分、今回のこのような原稿から情報を得る必要がある方々は自分に近いかもしれませんが、自分は全く大学のキャリアを刻んでいなかったのでポスドクとは何か?すらわかっていませんでした。「Research fellowにしてくれ!」という用語だけで戦っていたのですが、どうもResearch fellowという職位すらあるのかどうかもよくわからないです。自分の周りにはいません。ポスドクはいます。
海外ではやはりPhD (博士)は重要なプロセスなようです。一人前の研究者というにはやはりPhDが必要です。米国ではPhDコースの学生?は給料がでます。この一定の基準を乗り越えた人がどのようにそのあとキャリアを築いてゆく、これがポスドクでしょう。つまり、単純に考えてPhDなどは持っていると留学のプロセスの過程に役立つことも多いにあるかと思いますので、特に臨床医の皆さん、学位を侮ってはいけません。。。。今はキャリア崩壊時代ですが、まぁとれるものはとっておいてしかるべきですよ。
最終的にあちらの施設からこのような条件ですというAppointment letter (仕事の説明されてます)がきてようやく一つの契約の体系となりました。日本では契約関係は極めていい加減なので、自分のように適当に生きていたものにとってはここが大きなLearning pointでした。
もう一度書類関係が進みはじめたのが2019年7月、この時点で半年かかりますと言われたのでそこからは大体時間通りに進みました。やはりHuman resourceの方々につないでもらってから留学プロセスは開始されるということを強く理解しておいてください (Thanks giving とかクリスマス周辺の時期は非常にリスクが高いです。11~12月はほとんど仕事しないというイメージは定説です。ただ、自分は幸いある程度うまく調整してくださりました)。
そこからこちらのグラントの証明、CV、英語力の証明(TOEFL)を送付しました。そっからはこれまでのプロセスに比べれば余裕です。DS-2019が来さえすればDS-160とかもYoutubeでみて、SEVIRでお金払えばいいだけなので。このあたりはみんなやっていることだと思います。自分は留学「行く行く詐欺」状態だったので、VISAが自宅に送付されるまでは、周りにはなかなか言えませんでした。本当に誰も最後までは責任とってくれないので。このあたりのうまくいかないことに対する精神的な受け入れ、レジリエンスについては前より強くなったと思います。
そして、最後に11月1日に子供が生まれましたが、この子供のVISAプロセスについては本当に最悪でした。実はVISAプロセス自体も無茶苦茶遅かったのですが、それ以外にDS-2019の子供の姓名を逆に記載するという大チョンボを起こしました。。。大体公用の文書の場合は姓名の順になるので注意しておいてください。自業自得ですが、もう一度DS-2019を再作成してもらい、大使館に送るというステップが加わりました。。。さらにここでめんどくさいことにESTAも申請してしまうと地獄です (まぁそんな人はいないと思いますが、VISA申請中のESTA申請は禁忌です。今後のESTA申請にもかかわるということで妻が大分脅されていたようです)。
結論としては、急ぐ場合、まず郵送はおすすめしません。13歳以下は郵送でVISA申請できますが、無茶苦茶急いでいる場合には絶対郵送しない方がいいです。大使館は決まった対応しかしてくれません!! (笑)。途中で郵送から面接に変更することもできません!! (これも無茶苦茶腹立ちました!) まだまだこのあたりのTIPSはありますが、結局来ないということはあるのでそれだけ知っておいてもらえたら反面教師として参考にしていただけると思います。自分の息子は2か月で結局VISAが得られず、自分は一人で米国に行くこととなりました。
(DS-2019は無茶苦茶すぐ再発行してくれました。とりあえずHuman resourceの人たちはこの時は非常に助かりました。今まだEmployment Officeの人たちとやりとりめんどくさいです。)
7. YIAを振り返って
これは聞いていただいた方にはわかると思いますが、全く準備してませんでした。勢いでしゃべってます。これまでも幾度かプレゼンはしておりましたが、英語でのキチンとしたピッチのようなプレゼンの機会はこれが初めてではないでしょうか?ダメダメです。本当に申し訳ない限りです。自分は英語のプレゼンテーションに関して、TOEFLは非常によい機会だと思います。あのTOEFLスピーキングはストレスですが、是非皆さんも勉強されるのをお勧めします。まぁ、みんなやるでしょうから、大丈夫でしょうが。
ということで、ひとまず第1回の原稿を記載してみました。ちょっとうだうだ記載しているので、また次回からそれぞれのテーマにそって簡潔にお話させていただけたらと思います。