我が国の科学研究の低迷(後編)〜崖っぷちで踏ん張る医学研究〜

こちらに来て様々な国の研究者に囲まれながら日々過ごす中で、「日本の科学・医学研究は世界においてどのような立ち位置にあるか」ということを考えるようになりました。そこで自分なりに調べてみたことを、前・後編に分けてレビューしています。
前編では、日本の科学研究全体が昨今縮小傾向にあることをNature Index 2017および2018を引用して概説しました。後編の今回は、医学研究、特に我々臨床部門で行われている研究にフォーカスし、世界において我が国がどのようなパフォーマンスを示しているか探っていきます。
<文科省による驚くほどに詳細な分析>
今回引用するのは、2017年に発行された、文部科学省科学技術・学術政策研究所(NISTEP)による「科学研究のベンチマーキング2017」です。これはNISTEPが独自に、Web of Scienceに収録されているあらゆる科学論文を8つの分野に分類し分析したもので、その内容は驚くほどに詳細であり文献は230ページにも渡ります。本レビューはその中の一分野「臨床医学」に焦点を絞ってお届けします。この「臨床医学」分野では、臨床医学御三家(NEJM、Lancet、JAMA)、循環器領域御三家(Eur Heart J、Circulation、JACC)などのビッグジャーナルから、各国の学会誌やIF1点未満のものまで、約2,600のジャーナルが解析対象となっています。研究内容に関しては、患者を対象としたいわゆる臨床研究はもちろん、病態解明など臨床疾患とリンクする基礎研究も含まれます。なお、分子生物学、薬理学、微生物学など、狭義的な基礎研究は「臨床医学」とは別の「基礎生命科学」として分類されています。以下、「」を分野名に、『』をその下位のサブカテゴリ名に使用します。
<踏ん張りを見せる日本の臨床医学研究>
まず、「臨床医学」分野は、日本国内レベルで科学研究全体にどのような影響を与えているかを見てみます(図1)。日本の科学論文全体の減少が最も大きい2004年からの5年間では、「物理学」、「化学」、「材料科学」の減少が大きく、「臨床医学」や「環境・地球科学」の増加分を上回っています。ところが次の2009年からの5年間では、「臨床医学」の増加がその他の分野の減少分を上回り、全体として微増となっています(図1A)。次に、高品質な論文にはより大きな意義があるという観点から、被引用数が上位10%に入る論文(Top 10%補正論文数)に注目してみると(図1B)、ここでも「臨床医学」は日本の科学研究全体の底支えに大きく貢献していることがわかります。この「臨床医学」の踏ん張りは、膨大な本文献全体をたった13行にまとめた要旨の中にもしっかりと記述されています。

図1. 日本の論文数(A)およびTop10%補正論文数(B)の変化

図1. 日本の論文数(A)およびTop 10%補正論文数(B)の変化  (Top 10%補正論文数: 被引用数がその分野で上位10%に入る論文の数)


さらに「臨床医学」論文のサブカテゴリ別内訳を見てみましょう(図2)。直近の2009年からの5年間では、『複合科学』、『医学、一般医療、内科学』、『腫瘍学』に関する論文の増加が大きいのがわかります。私たちの『心臓、循環器系』の増加は、各タームでほぼ横ばいです。
図2. 「臨床医学」分野における論文数の変化とそのサブカテゴリ内訳

図2. 「臨床医学」分野における論文数の変化とそのサブカテゴリ内訳


<熾烈な国際競争の中で際立つ中国の成長スピード>
次に、「臨床医学」論文数の国際シェア推移を見ていきます(図3)。2000 年頃までは日本はシェアを順調に伸ばしていましたが、その後低下傾向にあり、現在第5位となっています(図3A)。Top 10%補正論文数のシェアも同様に日本は2000年以後低下傾向にあり(図3B)、1990年代は第4位でしたが、現在はグラフに表示されていない国々、すなわちイタリア(第5位)、カナダ(第6位)、オランダ(第7位)、そしてオーストラリア(第9位)を追いかける第10位に後退しています。中国は他分野と同様にこの「臨床医学」分野でも急激にシェアを伸ばしつつあり、グラフ上でもひときわ存在感を放っています。
推移

図3. 「臨床医学」分野における論文数(A)とTop 10%補正論文数(B)の国際シェア推移


続いて、「臨床医学」論文数の直近5年間の変化を主要他国と比較します(図4)。「物理学」や「化学」など他分野では著しいビハインドがあるのと異なり、この「臨床医学」分野においては日本もドイツやフランスと同程度の増加を示しているのがわかります。一方、米国と中国は、縮尺を変えて別の図にしないといけないほど、桁違いの増加をしています。サブカテゴリ別に見ると、我が国の『心臓、循環器系』論文の増加は、英国の三分の一、ドイツの半分、韓国よりやや少なめです。『腫瘍学』および『外科学』は健闘していると言ってよいでしょう。
国別診療科別2

図4. 直近5年間の「臨床医学」論文数変化の国際比較とそのサブカテゴリ内訳


<国際研究協力の構造変化の中で置き去りにされつつある日本>
最後に、国際共著に関するデータを紹介します。国際共著の重要性について、文献内では詳細なデータに基づき、国内論文よりも国際共著論文の方が、さらに2国間よりも多国間の国際共著論文の方が、より被引用数が多いことが示されています。日本の「臨床医学」論文における国際共著率は主要他国と比べ低く、直近10年間での増加も乏しいです(図5A)。次に、科学研究のトップを走り続ける米国の国際共著相手国のシェア変化を抜粋します(図5B)。「臨床医学」分野においては、日本は10年間で第4位から9位に後退し、他の分野と同様に米国の共著相手としての日本の存在感の低下が危惧されます。一方、ここでも中国は飛躍的な伸びを見せており、研究活動において米中の関係性が強まっていることが伺えます。
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図5. 主要国における「臨床医学」論文の国際共著率の推移(A)および米国の国際共著論文に占める共著相手国シェアの変化(B) (文献データを基に筆者が図表作成)


<引用文献>
科学研究のベンチマーキング2017 -論文分析でみる世界の研究活動の変化と日本の状況-
文部科学省 科学技術・学術政策研究所 2017年8月
https://data.nistep.go.jp/dspace/handle/11035/3177


<あとがき>
2編に渡り、国際競争の中で厳しい立場に置かれる日本の科学・医学研究、その低迷の様々な要因についてレビューしました。あとがきとして、留学先での体験を通して感じたことを記したいと思います。
現在私のいるラボで、ドイツ人の次に人数が多いのは中国人です。皆よく働き、独特なアクセントはありますが流暢に英語を話します。その中でも特に優秀だと思っていた一人は、私と同年代ですが、教授職を得たとのことで先日中国の出身大学へ帰って行きました。中国人の在籍者が多いというのは現在多くの国際的なビッグラボに共通していることと思いますが、彼のような人材が世界各地で量産され母国へ帰っていくと考えただけでも、中国の未来に恐ろしいほどの明るさを感じます。
また、私の研究所全体を見渡すと、non MDの日本人研究者も数名在籍しています。一緒に話をしていると、彼らにとって日本に帰るのは決して第一選択肢ではないということを強く感じます。Nature Indexで論じられているような、ポストの少なさやキャリアパスの不安定さがやはり大きな理由になっています。彼らの中には例えば、米国からこちらのラボに移り、成果を積み上げ、また米国に戻って今度は自分のラボを立ち上げた、という日本人もいます。彼らのような国際的な視野を持つ有能な研究者が国外へ流出してしまっている状況は、日本にとってはやはり大きな損失だと感じます。
一方で、ミクロな視点に立てば、日本の循環器領域からも非常に優れた研究成果が産み出されていると思っています。独特の切り口や詳細なクリニカルフォロー、またbench to/from bedにシームレスな内容は強みになると感じています。ここから質・注目度をさらに上げるためには、国際協力が必須でしょう。文科省のデータでお示ししたように、厳しい状況ながら、医学研究が日本の科学全体を支えている実態があります。これまで医学研究の発展に貢献してきた先輩方には改めて深く敬意を示すと共に、微塵でも自分が今後の一助になれれば、と思っています。

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川瀬 治哉(Bad Nauheim, Germany)