日本では、ラグビーワールドカップが大いに盛り上がりをみせていた1か月だったようです。体格が大きいとは言えない日本代表が健闘する姿を見ると、私自身励みになりました。
さて、本稿のテーマは、世界からみた日本の医療という大それたテーマになりますが、日米の違いをみて考えていることをシェアできればと思います。私自身は、研究者として渡米しているので、細かな診療の違いなどに言及することはできません。また、単施設での経験ですので、一般的なアメリカの現状と異なることもあるかもしれませんが、それを加味した上で参考にしていただければ幸いです。
<研究者の背景の違い>
アメリカ本国ではたらくアメリカ人のリサーチフェローは、多くの場合、虚血や不整脈などの専門性を獲得する前に研究に取り組むことも珍しくありません。クリーブランドの循環器フェローの中には、一般循環器診療に携わる前に、左心耳閉鎖デバイスなんていうとても専門性の高い治療に関する論文を執筆している医師もいます。また、米国には世界各国から研究者が集まっていますが、ひと括りに研究者といっても彼らの目的は様々です。インド、中東諸国、南米からの研究者が比較的多いのですが、クリーブランドクリニックに来ている彼らの多くは、最終目標として、米国の医師免許を取得し、米国内で循環器プログラムを開始することを望んでいます。彼らの履歴書に「彩」を加えるのが、研究成果ということになります。彼らの多くは、母国で医師免許を持っているか、医学部を卒業しているものの、臨床経験を積まぬうちに渡米しています。日本人研究者は、半数以上が臨床経験をある程度積んでから渡米していますし、大部分の日本人は研究期間が終了すると、帰国することを想定して渡米しています。このあたりは、日本から渡米した研究者は、少し特殊なのかもしれません。
ボスが研究者を採用する場合に、臨床経験があり、経験に基づいた視点を持っていることが日本人の強みであり、一方で平均的な水準を比べれば、言語能力の面では問題を抱えていることが多いのだろうと思います。
<医療現場・環境の違い>
これはよく日本で聞いた話ですが、海外の治療はおおざっぱで、日本の医療は丁寧であるとする見方です。私自身、先進性において世界をリードしているアメリカで、どのような治療が行われているかは非常に興味がありました。実際に見聞きすると、確かに日本の診療は、非常に丁寧なところも多いと気づくことができました。母国でインターベンションを専門にしていた、あるタイ人のリサーチフェローに聞くと、彼の日本に対する印象は「CTOなどに対するPCIのテクニックに秀でている国」だといいます。また、ある日本人の心臓外科医フェローは、クリーブランドで行われているバイパス手術は、血管縫合などをみると、日本の外科医のほうが丁寧だという印象を持っています。私の携わるEP領域に関して言えば、肺静脈隔離後にその永続性を高めるために、日本ではATP投与を行うことがありますが、そうした「ちょっとしたひと手間」はこちらでは基本的には見られません。
一方で、こちらでは、合併症については日本より敏感です。なんといってもアメリカは訴訟社会ですし、保険会社も病院が医療資源を適切に使用しているか監視しています。また、クリーブランドクリニックはプライベートホスピタルであり、合併症の発生率はブランディングの意味でも重要ですから、敏感にならざるを得ないのでしょう。当院では、その月に生じた合併症(退院後90日以内の脳梗塞なども含めて)を月1回スタッフ全員で共有し、データを蓄積していきます。こうして集められたデータには、術者であるフェロー、スタッフの名前なども記載されており、術者間による発症率の差などもモニタリングできるようになっています。おおざっぱな面がある一方で、アメリカでは、このような実利に直結する事柄に敏感であり、そのための長期的なシステムづくりという点で優れていると感じます。
また、システムを構築する上でのマンパワーも豊富です。研究に関して言えば、クリーブランドクリニックは、医師のほかに統計家やリサーチナース、FDAへの申請書類をまとめる専属のマネージャーまで揃えています。翻って日本の現状を見てみると、我々の持っている研究に使えるリソースは豊かとは言えないでしょう。それゆえ一般的に、日本の医師は本来やるべきでない仕事を抱えすぎてしまっているように思います。診療のための知識をアップデートしたり、研究のアイディア・プロトコールを吟味したりすべき人が、片手間でやっている仕事で忙殺されていれば、効率がいいとは言えません。個々がそれぞれの仕事に対する専門性を高めて、効率を高めるためには、それぞれの別の分野をタスクシフトして、「餅は餅屋」に任せる必要があります。
では、餅を売る人を餅屋というプロフェッショナルにするには何が必要でしょうか。
冒頭のラグビーの話に戻ると、日本のラグビー界でもプロ化の動きがあることをニュースで知りました。サッカーの1993年のプロリーグ化が歩んだ道を考えると、日本のラグビーが国際的な競争力を手に入れるのには必要な過程になると思います。プロとは何かと考えると、ラグビー選手なら、試合で最高のパフォーマンスを引き出し、試合をよりエキサイティングなものにする。そして、観客は観戦するということの価値を認めて、お金を支払うことになります。高額な報酬を得るトップアスリートがいる一方で、トップアスリートは競争を続け、自分の価値を証明し続ける必要があります。それができなければ、プロになることができないという厳しい現実も受け入れなくてはなりません。
同様に、アメリカの医師たちは、常に競争にさらされています。彼らにとってはそれが日常ですし、慣れています。また、勝負に敗れることは、必ずしも人生の敗北を意味せず、別の道を選択するきっかけにもなります。もし日本が、国際的な競争力を高める上で、環境整備やタスクシフトを行うのであれば、それは個々の仕事のプロ化を意味し、プロ化は競争を意味します。我々は、医師免許を持っていれば(制度上は)内科医も外科手術ができてしまい、更新もする必要がないという、世界的には稀なシステムで仕事をしています。それはそれで悪い面ばかりではありませんが、日本が世界と戦っていくならば、変わる必要があると考えています。
もちろんすべてを模倣する必要はありません。アメリカ型医療も当然問題点を抱えていて、極端な分業化と市場原理の導入により、医療費の高騰が叫ばれて久しく、GDPに対する医療費の比率は17%まで上昇し(日本は11%)、世界最先端の医療を受けられる患者がいる一方で、最低限の医療をうけることもままならない貧困層も存在しています。また日本人の得意としてきた、より直感的な気づきや工夫が、医学の進歩に寄与してきたことも事実です。経済規模が大きく異なるアメリカを、そのまま日本のロールモデルとすることはできませんが、日本が今後発展するならば、従来もっていた細やかさを失わずに、それが臨床的価値を持つのかを精査していく姿勢が必要だろうと思います。また、競争のための公平なルール作りも行われるべきだと考えています。