主張先進国アメリカ

こちらに留学してからアメフトの基本的なルールを教えてもらい、人生で初めて友人宅でSuper bowlをライブで観戦しました。残り時間が少ない中での同点、延長戦での逆転劇は本当にエキサイティングでした。
さて、今回のテーマは留学のダークサイドとのことで副題に沿って紹介したいと思います。
① お給金について。給料交渉など
おそらく私の場合はかなりレアケースに入ると思いますが、個人でボスとの交渉を経て最低賃金ではありますが給料を支給してもらっています。その経緯を説明する為に交渉過程のメールを読み返してみましたが、私にとって留学までの過程がダークサイドであったように感じます(笑)。
“ボスとの面接”
当時私は英語レッスンの為にBerlitzに通っておりました。そこの教師に「今度面接をするのだけれど給料の話をしてもいいのか、するならどういう風に聞けばいいか」と質問したところ、「主張しなければダメだよ!」と即答され、「そうだな…、給料が出るか妻が聞いて来いって言うんですよー、ってライトな感じで聞いてみるのはどうだい」と提案されました。お、確かにそれはありかもしれないと思った(思ってしまった)私は、実際の面接でも実践することに(一応妻には了解を得て)。面接の最後に質問があるか聞かれたので、ここぞとばかりに例の質問をぶつけました。
私:「給料についてはどうなりますか?妻が聞いて来いって言うん…」
ボス:「それはまた後日話そう」(食い気味)
私:「…」
みなさん、どう考えてもやっちまった感が出ているでしょう。さらなる追い打ちは当時ラボに在籍中のフランス人フェローにそのことを話した際に、引き気味に「俺は今までそんなこと聞いたこともないよ…」と言われたこと。あの日のロサンゼルスの夜空はいつも以上に暗かったような気がします。
“ボスとのメール”
その後パタリと連絡がなくなったものの、1か月に一度は必ずこちらからメールをする日々。「メリークリスマス!」とか「明けましておめでとう!」等々。それから数か月後、ついにボスからメールが!「給料は出せるが、ロサンゼルスで生活するには十分ではないのでなんらかの奨学金を獲得してくるように」とのこと。このメールを読んだ時の昼空はいつも以上に青かったような気がします。
そこから一気に話が進むかと思いました、が、時期的な問題や競争率の高さもあり奨学金獲得が非常に困難で、すでに4か月が経過しておりました。引き続き奨学金の申請は行いつつも時間ばかりが経過する焦燥感もあり、大学からのサポートはあるのでそれでいかがでしょうか、とメールをするも音信はなし。実は後々に分かったのですが、この時すでに見込んでいたラボのグラント獲得が難しくなったことから、給料を出すことが難しいということでした。元々給料はもらえないものだと思っていましたし、むしろ検討してもらえただけでもありがたく、無給で構いません!と返答し、ようやく留学手続きが進み始めたと記憶しています。
“自分の変化、周辺の変化”
実際に留学した年の1月から留学手続きが始まりましたが、ここで一つの問題として医療保険がありました。というのも、日本で加入できる海外医療保険は妊娠・出産がカバーされません。当時妊活中であったこともあり、ここがカバーされないのはもしもの時に非常につらい。医療保険だけはなんとかならないだろうか、と交渉するも無給では留学施設の保険は使えないとのこと。まぁしょうがないかと諦めたその矢先に妻の妊娠が発覚。妻と子供の為にも交渉を再開することとなりました。ちょうどその頃にPhD取得とまさにSunrise labのサポート獲得という自分の変化があり、その報告も合わせて再交渉を行ったところ、なんとCedars-Sinaiの人事課より突然に給料を提示したPostdoctoral Fellowでの雇用に関するメールが届きました。この日は当直明けでしたが、朝焼けがいつにもまして眩しく見えたような気がします。
正式に雇用されることになったおかげで施設の医療保険を使用することができるようになりました。本当にボスの寛大かつ優しい配慮には感謝しかありません。しかし、なぜ給料が出ることになったかを考えると妻の妊娠、PhD取得、Sunriseのサポート獲得なのではないかと推測されます…が、実際のところは分かりません。ただ、これまでの経緯で一貫して行っているのは“交渉”ではないでしょうか。決して積極的にはおススメできませんが、交渉してもしなくても結果が変わらないのであれば一度は交渉するというのも一つの考えだと思います。
第1回のテーマでも触れましたが、私は面接から実際の留学にいたるまでまる2年間を費やしております。その過程では紆余曲折があり、一度はCedars-Sinaiへの留学話が立ち消える可能性もありました。その間私を支えてくださった皆様にはこの場を借りて改めて感謝申し上げます。
② ボスに言われたひどい言葉。くじけそうになったシチュエーション。ずっといまの施設で働けますか?
ボスに言われた言葉ではないのですが、第4回でも紹介した、“Don’t touch, just read (a paper)!”はやはり衝撃的でした。私のすごく近しい上司からは「最初は“空気”だから」と言われたのを思い出しました(笑)。とはいえ、ラボのスタッフは南カリフォルニアの気質のせいかみんな気のいい人間ばかりなので毎日楽しく過ごしております。基礎研究をやるという意味ではこんなに充実した施設はなく、その点においてはずっと働ける施設と言えるでしょう。
なんだかあまりダークサイドなことが少ないようにも感じますが、基礎研究の知識不足に対する勉強や実験の大変さはどこの世界でも同様のことと思います。英語スキルでの苦労についてもダークサイドというよりは貴重な経験と考えるようにしています。ネガティブなことは印象に残りやすい反面、それ以上にポジティブなこともたくさんあるのが留学なのではないでしょうか。
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ハリウッドのチャイニーズシアターにて

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伊地知 健(Los Angeles, USA)