ボン大学リサーチフェロー 田中徹
今回のテーマは“異文化のハードル”ということで、留学中の給料やボス含めた研究の環境についてをまとめたいと思います。
①給料について
今のところ私はボン大学からは給料はもらっていません。基本的には臨床部門にいるResearch fellowといった存在なので、他の研究施設と違ってResearch をするだけでは給料は発生しません。今、ドイツ語を勉強中ですが、ドイツ語の試験に合格してドイツでの医師としての労働許可がおりたら医師としての給料が発生するようです。幸いドイツの物価が安いのと、SUNRISEや他の学会などのサポートのお陰もあってなんとかやっていけています。PhDも持っていないので応募できる奨学金がだいぶ限られてしまいますが、こちらで論文を書いて、留学開始後でも応募できそうな奨学金にはトライしてみようかと思っています。
ドイツでの医師としての労働許可は働く州によって違いますが、私のいるボン大学のある州では大学入学レベル相当のドイツ語(B2レベル)とドイツ語での医療面接の実技試験(OSCEみたいなもの)に合格する必要があります。その医療面接試験には医学ドイツ語に加え、カルテ記載などのためにラテン語も要求されるようです。それに合格すると期限付きの労働許可が下りますが、さらに永久免許のためにはドイツ語の医師国家試験にも合格しなくてはなりません。先はだいぶ長いですが、カテーテル治療に参加するためにも、早くドイツ語を上達させて、まずは労働許可を取ることが目標です。
②ボスについて、ボスから言われたひどい言葉
ボスにあたるNickenig教授は日本の教授と同じく(?)、絶対的な存在です。全てが教授中心に動いており、カテーテルの予定も教授に合わせて作成されています。そのため、基本的にはボスとゆっくり言葉を交わす時間もありません。研究面についてはボスと直接ではなく、それぞれの分野の責任者と進めて行きます。初めて論文のチェックをボスにお願いする際は、非常に緊張しながらたどたどしいドイツ語で会話をしたのを覚えています。ボスもそうした我々の緊張しているところを楽しんでいるのか、もともと強面なのに、さらに真剣な顔をしながら、ジョークを言うので、時々笑っていいのか困ることがあります。幸い直接ひどい言葉を言われたことはまだありませんが、今後一緒にカテーテル治療などに入ったら、すぐに怒られそうで今から心配です。
ボン大学では学内での昇格のために必要な論文数(First author か Last author)が具体的に決められています。また、医学生も卒業のために研究活動が求められています。すでに教授にまでなっていれば、そうでもないですが、それ以下のポジションの医師たちはみな貪欲に論文を書いています。また、ボン大学では論文に最も関わったスタッフがLast authorになるというルールがあり、日本のように慣習的に教授や診療科のトップがLast authorになるわけではありません。そのため、どんどん論文のアイディアを出して、論文を書いて持ってくるフェローは評価されています。また、日本人フェローは多施設研究のデータ入力や学会のスライド作りもすぐにやるので、そういうところも評価されていると思います。先日はなぜかカテーテル治療のレセプト入力もやらされましたが、ドイツ語のカルテやカテーテル記録を読み解きながら、一応文句を言わずに終わらせました。こういうところも評価されていると信じたいです。
③将来的に今の施設で働けるか
日本で医師として働いていたときと比べると、書類仕事などの煩わしい事務作業や当直・オンコール業務などから開放されて、興味のあるカテーテル治療やその研究に時間や体力を集中させることができています。留学中しかできない時間の使い方だと思っています。しかし、今はこれでも良いですが、将来的にどうかと言われるとまた話が変わってきます。
今後、長くドイツで生活していくとすると、臨床の仕事に関わらないとなりません。そして、そのためにはドイツでの医師資格がどうしても必要となります。資格試験にパスすることもそうですが、ドイツで専門医を含めた循環器のキャリアを積む必要があります。膨大な数の必要書類を揃えて申請をすれば、日本での症例数などの経験が認められ、研修をある程度免除されることもあるようですが、多くの場合は他のドイツ人医師と同様に一から研修をやり直さなくてはなりません。そうすると5年以上はかかるので、完全に日本でのキャリアからは切り離されることになるかと思います。ドイツに残って医師として働いていくためには、そこまで覚悟を決めなくてはなりません。私は現時点ではそこまで考えられないですし、家族の生活や仕事もありますので、数年で帰国するというのが現実的な選択肢だと思っています。
④その他
先日、SUNRISE YIAをオンラインで視聴しました。自分が発表したときから、もう1年経ったということに時間の流れの早さを実感しました。今回は見るだけだったので、緊張もせずに落ち着いて参加者の先生方の発表を見ることができました。コロナ禍にも関わらず、昨年よりも多い先生方が参加されていて、しかもいずれもハイレベルな発表で自分自身も非常に刺激をもらいました。こういった日本の学会、講演会、研究会といったのがオンラインで参加できるのは留学中の身からすると非常に有り難いことです。日本語でディスカッションできるのもそうですが、同じ手技にしてもドイツと日本で着眼点が違ったりして、気付かされることも多くあります。
今年もしばらく国際学会のバーチャル化の流れが続きそうです。折角の旅行の機会が失われることもそうですが、日本の先生方と直接交流できないことも大きな痛手です。このままだと存在を忘れられかねないので、積極的にオンラインミーティングなどに参加していこうと思っています。
暖かくなったので同じくボン大学ハートセンターフェローの杉浦先生とライン川沿いをランニングしました。しっかり走って、その後、青空の公園でしっかりビールとカレーソーセージで疲れを癒やしました。