1. なぜ留学しようと思ったのか
大学の医局に所属していた自分にとって、身近な先輩が次々と海外/国内留学していく様子をみて、自分も一度大学の外に出て、視野を広げたいと次第に思うようになったのを覚えている。ただ、多くの先輩が基礎研究で羽ばたいていく中、基礎研究に真面目に取り組んで来なかった自分としては苦手な基礎研究で留学、という気にはとてもなれなかった。そんな中、同じ基礎研究室に所属していた林田健太郎先生(現慶応義塾大学医学部循環器内科講師)よりフランスに臨床留学に行くお話を伺い、純粋に憧れたことが思い出される。三度のメシよりcoronary interventionが好き、な自分ではあったが、同時にそれ以外の新しいcardiac interventionにも興味が湧いてくるようになっていた。Structural heart disease interventionに対する勉強をしてみるとその多くの成果がヨーロッパの施設より発信されていることに気づき、留学先を絞るにあたり、この分野において世界をリードしているヨーロッパに行くこと、が自分の中での絶対条件になっていた。また日本人がまだ誰も行ったことのない施設であること、も同時に自分の中で譲れない条件であった。確かにすでに日本人の先生が行かれていた施設であれば、日本人とはどういう人間であるかを理解されている可能性が高いし、リサーチ面で言うとすでにデータベースなどが構築されているかもしれない。これは大きなアドバンテージと考えていいだろう。ただ、自分の場合、まず自分が日本代表という覚悟で留学先に乗り込みたかった(日本の旗を自分で立てたかった)ということと、その方が新しい言語の習得は早いだろうと期待して、そのように考えていた。
2. なぜ現在の留学先を選んだのか
”2011年TCTAP@ソウルで一気に具体化”
ヨーロッパと言っても多くの施設があり、どの施設でどのような手技が行われているか、また特徴・強みはどういった点か、などについては正直、情報不足でよくわからない状況であった。幸い、大学で数多くの僧帽弁症例に恵まれ、また経食道エコーもずっとやっていたので、MitraClipの治療については当初よりものすごい興味があり、TAVIだけでなくMitraClipにも強い施設に行きたいという気持ちが強かった。そんな折、2011年4月に参加したTCTAP@ソウルにて、Ted Feldman先生と話す機会を得たので、思い切って聞いてみた。「先生のところに行ってMitraClipの手技の見学に行ってもよろしいでしょうか?」(ヨーロッパの施設でMitraClipの強い施設を聞こうと臨んだものの、いざbig shotを目の前にして口から出た質問はこのようであった)すると全く予期せぬ答えが帰ってきた。「来てくれるのは構わないし嬉しいけれども、自分のところではclinical trialとして月に数例やるだけだから、MitraClipをたくさんやりたいのであればCataniaに行くといいよ」。
Cataniaのリサーチを続けていくと、イタリアで最初にTAVIとMitraClipを行った施設であるということがわかった。場所はもちろんシチリア(写真1)。大好きな映画の舞台、海も綺麗、食も豊か、セリエAもある。地球上でこれ以上の施設はないと確信し、ちょうどTCTAPにいらっしゃっていたCorrado Tamburino教授をアポなしでつかまえ、「是非、留学して勉強したい!」という気持ちをアツく伝えた。誰からの紹介も何のコネもない自分に対して、「まずは秘書と連絡を取りなさい、そして、一度早い時期に実際来てみなさい」とひとまず快く受け入れて下さった。このように受け入れて下さった背景には、これまでの日本人interventionalistのこの分野における多大なる貢献があったからこそと理解し、心より感謝している。
写真1
早速、この年の夏休みに妻とともにCataniaに向かった。朝7時半に教授室を訪問し、当時SHD担当のUssia先生含め、自分はここで何を学びたいのか、再度熱弁(写真2)。その後、教授回診に合流し病棟、CCUを回診。ネタとして仕込んで来たイタリア語でみんなの前でちょっとだけ挨拶。どうやらFerrarott Hospital(写真3)にやってきた初めての日本人医師ということで、上の先生からレジデントまで興味津々でみんなとても親切に対応してくれた。このような印象もあり、妻からもOKが出て、また実際今まで見た事もなかったMitraClipを間近で見て感動!ここしかないと、すでに心は決まっていた。
写真2
写真3
3. 留学するにあたって困難であった点、どのように解決したか
最も困難であった点は、ビザ(学生ビザ)の取得、および日本の大学医学部卒業、医師免許証はイタリアのものと比べて同等ですよ、と証明するための「等価証明」という手続きに気の遠くなる程の時間、労力を要したところである。この点については、次回、詳細に報告したいと思うが、これについては実に様々な方々の力を借りることで乗り切れたと今でも考えている。